[コメント] 砂の女(1964/日)
ありのままの現実を受け入れるか。「砂」となって逃げ出すか。…私は、砂になりたくない。
「砂」という実体のない、ただの「モノ」になることを望み、現実世界に戻る機会を、自ら放棄した男。
匿名の自由には、その代償としての責任を取る必要がないからだ。
それにひきかえ現実世界は苦しい。自分の行った行動に対しての責任はかならず自分に跳ね返ってくる。主人公、男のように、それならばいっそ自己という存在を投げ出して、無限の自由が欲しい、と望む気持ちは理解できる。
自由への憧れは私を含め、きっと誰にでもある感情だから。
でも、本当にそれで良いのだろうか。そうはいってもやはり人間は、自己を他者に理解して欲しい、認めて欲しいと願うものだ。…自己の存在が無ければ、理解もされはしない。
無制限の自由は、たとえようもなく孤独だ。
現代はネットの時代だ。そのバーチャルな世界では、自由に伴う責任を負うことも、「砂」となって逃げ出すこともできる。
そんな世の中だからこそ、私は言いたい。
…「私は砂になりたくない。自己存在を手放したくない。」と。
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