[コメント] 陽のあたる坂道(1958/日)
OP、田園調布、左からフレームインした北原三枝が左右を見てから画面奥へ坂道を下り始め、キャメラはこれをドリーで追うのだが、動き始める一瞬、キャメラが軽くフッと宙に浮くんだ。ここが大好き。この浮遊感、日本映画の絶頂期、という気がする。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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この、道路が舗装され両側に植木の繁る田園調布の豊かな光景も象徴的で、高度成長とはこの光景が全国津々浦々に「国土の均衡ある発展」のスローガンの下進められることだった、本作はそのスタートライン、という感じが強くする。良かれ悪しかれ、もう歴史だ。
映画は裕次郎の胸タッチに始まる爽やかかつ気障な性解放の石坂洋次郎節。兄の犠牲になる弟という関係を演じて小高雄二も裕次郎も半端でいけないが。芦川いづみと川地民夫は感じいい。裕次郎と川地の喧嘩をリンゴ齧りながら眺める北原と芦川は太陽族風で印象的で、一方、喧嘩で仲良くなる二人は昔風。芦川の脚が治りそうだと喜ぶ処で映画は希望を持って終わるが、現代なら障碍を抱えて生きて行く決意が貴ばれる処だろう。この点石坂節は古びてしまったのではなかろうか。
山根寿子は千田是也の妾と判明する家族会議で妻の轟夕起子が「私も魅力がないのがいけなかった」と反省するニュアンスは何か計りがたい機微があるが一般論として古臭かろう。ここでも新しかった石坂節が古くなったのが見つけられるように思った。
山根寿子がいい。若い頃はいいと思ったことがないが中年でいい味出しておられる。映画はこの翌年で引退されているらしい。アパートの部屋で宴会、森川信慰めて踊る真室川音頭がいい。こういう描写は決して古びないだろう。小沢昭一が渡辺美佐子の舎弟のようなチンピラで登場する。川地は歌下手過ぎ。再見。
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