[コメント] 萌の朱雀(1997/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
孝三(國村隼)が8ミリビデオを持って、山のなかへと入っていくときの 映像は、この映画全体のなかでも、もっとも優しい場面の一つである。 私にはこの「優しさ」が疑問だった。 何故なら、その後孝三は死ぬのであり、状況からして、自殺の疑いが強いのであるから。 映画全体で、もっとも過酷なシーンであってもかまわないのである。
ここはよく考えてみる必要があるだろう。
まず重要な点は、この映画の視点は、登場人物のいずれのものでもないということである。ある登場人物の視点になり、強い感情描写がなされることはほぼない。人物の表情から 感情は類推できるが、細かい感情の動きをカメラが追うことはない。
だからこの映画では、孝三がなぜ死に至ったは不明のままである。たしかに鉄道工事の中止などが孝三に働く意欲をなくさせたことは推論できる。妻の病が孝三に何らかのダメージを与えた可能性も指摘できよう。しかし孝三はそんなに絶望するようにも見えず、ただ 何かに誘われるかのように森のなかへとさまよい入る。そのときの映像は既に述べたように大変「優しい」。
孝三が写した八ミリフィルムは、作品の後半でもう一度登場する。栄介の提案で、残された家族がこの八ミリフィルムを見る場面だ。映されるのは、村人たちの姿であり、かれらを取り囲む森である。この何気ないフィルムを見たあと、急に家族たちの表情が生き生きとしている。何故か?
このフィルムは孝三が死ぬまえに伝えておきたかったものなのかもしれない。あるいはむしろ、ここに映ったような光景が孝三を捉え、死の旅へと赴かせたのかもしれない。ただ一つのことが言える。このフィルムには絶望の影は見られない、ということだ。少なくとも、このフィルムのなかで微笑んでいる老人たちの姿からは、絶望の影などかけらも見られない。
このフィルムは、ばらばらになりかけた家族をつなぎとめることができた。フィルムに写された光景は、孝三自身を示し、孝三が見た、そして家族たちも見てきた優しい光景を示しているのだから。孝三はけっして絶望のうちにはなかった。そのことを家族たちは実感したに違いない。
風景は時に意味や情動性を孕み、人と人との間をつなぎとめてくれる。河瀬監督はそんな風景を撮ろうとしている。
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