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[コメント] 男はつらいよ 寅次郎恋歌(1971/日)

前7作までのパターンのパロディで笑わせて泣かせる。喜劇シリーズの美味しい頃合(含『サーカス』のネタバレ)。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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これまでの寅の失恋は前作『奮闘篇』で次々と回想され、母親のミヤコ蝶々に情けないと落涙させるのだったが、本作ではこれが更に自覚的に俎上に上げられる。池内淳子の登場に周囲は同じ悲喜劇をみるのは真っ平とばかりに寅と池内を逢わせないように画策するし、二人が逢っただけで条件反射のように森川信は寝込むし、「そろそろ二枚目の登場か」などという科白まであり爆笑させられる。喜劇シリーズはフォーマットが決まってからの脱線、パロディが面白い訳で、しかしこればかり繰り返しても退屈になる。シリーズの一番美味しい頃合が本作だったのだろうと思われる。

しかし、本作が凄いのは、パロディが笑いだけではなく、泣きの件でも駆使される処だ。池内の相手の「二枚目」は最後まで現れず、寅と一緒に旅したいとまで彼女に云わせるのに、寅は再びのひとり旅に出てしまう。「そろそろ潮時なんだよ」と。寅自身もいつものパターンは重々承知しているのだった。

この寅とさくらの最後の会話において、さくらは私だって旅に出たいわと云う(「お兄ちゃんを心配させたいわ」)。ここには優れたダブル・ミーニングがある。会話をしながら、寅は池内の言葉を反芻したはずだ。そして池内の一緒に旅に、という誘いはただの一般的な庶民の願望であって、恋愛感情の表現ではなかったのだなと断じたに違いない。寅は失恋のダメをさくらに打たせているのだった。

クライマックスの寅と池内のやり取りは微妙な男女の間の空気を扱って素晴らしいシーンだが、私見ではあのとき、あの瞬間だけ、池内は本気だったと思う(というか、思いたい)。しかし、金に困って家賃も払えない池内をみて寅は逃げ出す。池内の子供に給食のパンを貰ったり、啖呵売で儲からず警官に咎められたりの境遇で、彼女の手助けなどできる訳がないと知っているのだ。実に情けない、切ない話だ。

本シリーズはチャップリンからの影響がときどき見えるが、本作はここの処、『サーカス』へのオマージュという印象がある。片想いのマーナ・ケネディに一緒に逃げてと云われて、チャップリンは放浪者の自分には出来ないと突然に断り、彼女を元彼に返してしまう。テントが片付けられた同心円を渡ってひとり去って行くチャップリンの背中に、夜の商店街を去って行く寅の背中がWる。この撮影は突然にいい。本作、撮影が充実している。倍賞千恵子を池内と間違える件や最後の地蔵さんのうえに置かれた柿など、古典的なタッチがいい。

一方、志村喬の件は全部、私には中途半端にしか見えなかった。倍賞の歌(「かあさんの歌」)が聴けるのは余得と云う他ないが、この時の彼女の従順さ(酔っぱらった寅と旧友の前で命ぜられるままに歌う)は度外れていて、日頃の兄への強気な態度とは一変しており、心に残るものがある。ただ、ロリータ系のエプロンは止めてほしかった。旅役者の岡本茉莉は可愛い。旅役者になれたらよかったのに、という池内の回想とリンクしているのが美しい。船旅に出たかったという前田吟の母親の回想とも重ね合わされている。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ぱーこ[*] ゑぎ けにろん[*]

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