[コメント] 近頃なぜかチャールストン(1981/日)
メインテーマと思われる戦争世代の孤立感と国家への愛憎、渇望。それをストレートに表さないのが喜八流。ただし今回は遠回りし過ぎてドタバタ感が目立つ。
利重剛は老人たちと同化してはいけないのじゃないだろうか?
徹底して老人たちを理解不能なモノとして相対し、老人たちもまた少年を戦争を知らない世代=異星人として見る。その相容れない双方の壁の隙間から見えてくるものがある(はずだ)。
老人たちは何故、日本国に対して叛旗を翻し、日本国を否定するのか?
兵卒として戦い、帰ってきた祖国日本でやがて老いていく兵卒たち。彼等は何の為に戦い、傷つき、復興の為に働いてきたのか?
その結末は行く当ても無く、無人のアパートでの貧しい共同生活だった。彼等の寂しさとささやかな怒りは日本国を否定するという行為で爆発するのだが、何故だか彼等が対峙するのは保険金殺人だったり、やくざだったりとテーマを大きく迂回するような設定で次第にぼやけていく。
過去、岡本喜八は戦争の馬鹿ばかしさと無常感を描いてきた作家である。『肉弾』や『血と砂』『独立愚連隊』等ではシニカルに、『激動の昭和史・沖縄決戦』ではストレートに。そして本作では「戦後」という舞台設定で絶妙な状況設定を作り上げた。それなのに何故やくざなのか、何故保険金なのか?
いっその事、皇軍たる自衛隊にアパートを包囲させての市街戦でもさせて欲しかった。極論を言えば、彼等は皆「戦死」をして欲しかった。「戦後36年目」にしての壮絶な「戦死」である。日本国の為に戦った皇軍兵士が、今度は、否、最後は誰の為に死ぬるのか?岡本喜八ならそれぐらい描ききって欲しかった。・・残念である・・
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。