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[コメント] 砂の器(1974/日)

時を巡る思い。月日を経ても、親の情は暖かかった。
mimiうさぎ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「隣の席で、お父ちゃんボロボロボロボロ泣いとーに(泣いていたの)」

母が笑って聞かせるデートの報告。「男が泣く映画ってどんなんだろ???」ドラマ化され、ビデオが一般的に出回るようになって、母の語り草の中でだけ知っていたこの映画を観ることが出来た。

そして、今度は私も泣いた。隣には、やっぱり鼻水を垂らして泣いている父がいた。「おまえが生まれてすぐに観たんだ。」

満開の桜、美しい田園風景、夕焼け空。限りなく広がる海。 ぼろぼろの服を身にまとった父子とは対照的なこの景色が余計に涙を誘う。美しい自然とは対照的な、人間の非常さ。

現代でこそ、「なんて哀しい話なのだろう」と、なんの躊躇もなく思える。しかし、この時代にもし自分が生きていたら・・・。

交通機関も発達していない閉鎖的な田舎の村。そこには、一元的な価値観が存在している。そこへある日突然、ぼろ布をまとった父子が現れる。人々は、その身なり故に興味と軽い怖さを持つだろう。まして、それが病気に蝕まれているとなれば尚更だ。その病は、医学的に解明されておらず、政府より「即刻隔離」を命じられていた病。「触らぬ神に・・・」と思ったとして、彼らを責める事は出来ないだろう。それが時代であり、この物語がそんな時代が生んだ悲劇であるからだ。

後生に生きる私たちは、(このフィクションを通じて)この時代実際にあった悲劇を知り「ああいった過ちは繰り返してはいけない」と思える価値観をはぐくむ事、これが時代の悲劇に押し流されてしまった人たちへの償いであると思う。だからと言って実際に何かやろう・・・そういう事ではない。「知らない」事が時には悲劇を生むとしたら、無知故に起こる悲劇を、「知る」事によって食い止めれば良いのだ。

作中、神戸児童殺傷事件でT被告が死刑判決を受けて以来思っていた事とをダブらせて観ていた。

「同じ環境で他の人が育っていたら、同じ事をするんだろうか?」(ペペロンチーノさんが日記でも書かれておられます。お名前拝借し、すいません!)

私の出す結論としては、「NO」だ。

悲劇的な少年時代、苦学の末につかんだ栄光。それを守るために、掛け替えのない大事な人を殺す・・・。和賀英良(加藤剛)に同情すべき点は多々ある。しかし彼は罰せられるべきなのだ。

自分の為に、「会いたい!会いたい!」という思いを押し殺し「知らねー、知らねー。」と悲痛な叫びを出す父の情を、音楽で表現するなんて生っちろい事で清算しようとすべきではなかったのだ。会いに行ったからといって、誰が彼の地位を脅かす事をしただろう。

名前も出生も恋人までも欺き、人を利用する事でしか生きていけなかった彼は、人の優しさをも見失っていたのだ。これから彼が失うもの、失ってしまったもの、罪を償った後に得るもの・・・。

得るもの・・・。

この映画は観た後も延々と考えさせてくれる。これが名作なんだよ。ね、聞いてるかい?中居君・・・どうにかしようよ・・・(汗) 加藤剛生ピアノだったよ!

どうでも良い事なのだが、広島在住の後輩が、 「僕、鳥取砂丘に水筒持って遭難するのが夢なんです!」 とのたまっていた。「しねーよっ」端から端まで、1時間もあれば行けちゃうんだから・・・・と、この映画の冒頭シーン。あ。これなら遭難しかねない・・・。やけに広く感じた鳥取砂丘でした。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)荒馬大介[*] シーチキン[*] ゆーこ and One thing[*]

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