[コメント] 砂の器(1974/日)
「宿命」の背後には「怨念」があるだろう。音楽家は、観衆の割れるような喝采の拍手が、いともたやすく差別と偏見の罵声と嘲笑に変わり得ることも知っている。ただしそれは芸術を生み出す力でもある。社会性と通俗性の狭間でよく描き切っていると思うが、→
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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これが「お涙頂戴」モノに見えるとしたら、そこに加藤嘉の「そんな人、知らね!」という痛切な叫びに込められた現実を掬い取ることができないほどに、むしろ通俗性にばかり馴れきった観客としての我々の姿を見るべきだろう。そもそもその叫びを、通俗の型を踏まずに、訴えることができたろうか?我々観客は目をそむけずに見ただろうか?
型は受け止めるためのものとして、しかし叫びは聞き取れるはずだろう。
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