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[コメント] 処女の泉(1960/スウェーデン)

立春を過ぎたある日の上午。駐車場から大学の付属図書館へ向う小道を歩いていた。陽だまりの中で三羽の小鳥が死んでいた。次の日、この『処女の泉』を再見することにした。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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三羽の小鳥は、道の真ん中で寄り添うように並んでいた。あまりにも不自然な死の「形」だ。

どうしようかと悩んだが、誰も気にも留めず通り過ぎていくので、踏まれては可哀想だと思い、拾い上げ、道脇の木の下に埋めて合掌した。

その後、素手で触ったので手を洗いながら、考えた。その小道は校舎に挟まれていたし、きっと、あの小鳥は誰かに殺されたのではないかと。その大学は自殺者が多いことで有名で、実際、去年その小鳥が死んでいた場所近くで、一人亡くなっている。もしかしたら、卒業や後期試験中の二月、鬱憤晴らしにパチンコか空気銃かで誰かが小鳥を撃ったのかもしれない。そして、すっかり冷たく硬くなっていた小鳥の感触を思い出し、昼前まで道の真ん中で置き去りにされていたことを思った。

なぜ、小鳥は死なねばならなかったのか。なぜ、その死は見過ごされたのか。悲しみと怒りで胸がいっぱいになった。

そして、手に流れる水の感触から、この映画『処女の泉』を思い出したのだった。(ちょうど、個人的にベルイマン監督作品を観直していたということもある。「偶然」、「縁」とは、本当に不思議なものだ。)

この神話的物語は、現代社会に生きる人間においても普遍的なものだと思う。僕は、一昨年に起こった山口母子殺人事件を思い出した。加害者が未成年であること、犯行が計画的でなかったことが考慮され、無期懲役という一審判決がなされ、被害者の夫は「司法に絶望した。上告は望まない。犯人を早く社会に出して、俺がこの手で・・・」とその心情を語ったそうだが、「気持ちがわかる」なんて軽軽しく言えない。ただただ、彼の気持ちを察すると胸がつぶれる。

そして、たとえ復讐が成し遂げられたとしても、たとえ娘の亡骸の下から泉が涌き出たとしても、決して娘の命は返ってはこない。けれど、あの父親には復讐するしかなかったのだ。けれど、彼は神に問いかけるしかなかったのだ。(*追記1)

許したくとも、到底許しはできない、瞋恚を抱かざるおえない悲しい、あまりにも悲しい出来事が、この人間の世界にはあまりにも多すぎる。祈るしか、ただ祈るしかないのだろうか。「煩悩あれば菩提あり」とは仏教のことばだが、おぼつかなくとも、この人間の愚かな在り方を、深く自覚して、この怒りや悲しみさえも<光>へと向う手立てとなると信ずるほかにはないのだろうか。

父親テーレは、娘の亡骸を前にして彼方に問う。「神よ。あなたはすべてを見て、しかも沈黙しておられた。なぜなのか、それが私にはわからない。」

神の<沈黙>。この絶望的な<沈黙>の中で「祈る」という希望。煩悩の中で苦悶する人間が、菩提へと回帰せんとする無限の努力、それが「祈り」。その祈りの中にある、そのかすかな<光>、不信の中の<信>、その象徴としての<泉>を、この『処女の泉』という映画に僕は見た。

〔★4.5〕

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*追記1:

あの少年を母親が庇ったのは、彼を殺されてしまった「たったひとりの」娘の代わりとして育てたかったという思いも少なからずあったのではないだろうか、と感じた。そして、”だからこそ”、父親は、あの少年までも殺さねばならないと判断したのではないだろうか。

*追記2:

この作品の構図の美しさは、本当に息を呑むほどだ。「静謐な湖を背景に馬に乗って教会へと向う娘」、「娘の不在の中で、その娘の命を奪った浮浪者たちとテーブルを挟んで対峙し、神へと祈りを捧げるテーレ一家」、「夜と朝の相克の中で、「その時」が満ちるのを剣をテーブルに刺し待つ父親テーレ」など。

*追記3:

「神」という概念は用いられないが、この<沈黙>、その<沈黙のまなざし>を現代的かつ日本的に捉えた映画に青山真治監督の『EUREKA』があると感じた。

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この場を借りて、理不尽な暴力により生を奪われたすべての命へのご冥福をお祈りします。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)jollyjoker kazby ina

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