[コメント] マッドマックス サンダードーム(1985/豪)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
そもそもエネルギーが豚のメタンガスという点からして既に萎える。また人を殺さないマックスにも失望した。おまけによい子の味方になってしまい、家族で安心して観れるファミリームービーに成り下がったこの映画こそ、まさにマッドと言えよう。
しかし、この映画には製作の苦労や不満が暗喩として提示されている。まず、マックスが被らされるマスク。一作目においては足を撃ち抜かれ、二作目では片目を失うというハードさがあった。しかしこの作品でマックスは、お面を被らされるだけ。これは今回のマックスが、いつもと違う仮面を被らされた虚像であることを意味している。誰に?もちろんハリウッドだ。ミラー監督は資金提供の際に、交換条件としてマックスは人を殺さないという条件を呑んだのだ。(勝手な推測)
次に劇中で人形が音声を発する「連れてって」、レコードの声「家に帰ります」は、ミラー監督の心の声を現している。ハリウッドへ「連れてって」、でも「もう帰りたい」と。アイアンバーが最後の場面で人形をめでた後、中指を立ててファックユーする。この場面は、ハリウッドに来たものの仮面を被らされ嫌気が差した監督が「この作品で俺は奴らの人形にすぎなかった。こんな映画クソくらえだ!」という投げやりな気持ちを画面にぶつけたものと思われる。この映画をそんな監督を主人公に置き換えてみると以下のようなストーリーとなる。
「ミラー、都会へ行く」あらすじ
オーストラリアで自由な映画作りをしていたミラー監督。ある日、失った車(資金)を求めてバータータウン(ハリウッド)へ行く。この町で映画を作るには、何かと交換が必要だった。監督は仕方なく、製作の自由と引き換えに映画の資金を得るのだった。だが、自由を失った製作は、もはや決まったレールの上を走らされるだけだった。続編という勢いで走り出したものの、自由の効かない製作はやがて行き詰まるのだった。監督が夢見ていたキャプテン・ウォーカー(理想の映画作り)は幻想にすぎなかったのだ。それでも監督はこの世界で生きていく覚悟を決めた。理想とは何かと引き換えではない、自分たちの手で作り上げるものが理想なのだと。監督は映画のラストで、廃虚の町に明かりを灯すことで未来へ希望を託し、不毛な映画を葬ると同時に、亡き盟友バイロン氏への追悼に捧げたのだった。完
・・・いい話じゃないですか。だからと言って、この映画の評価は変わりませんが・・・。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。