[コメント] 炎のランナー(1981/英)
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ユダヤ人であるハロルドは、自らが感じる周囲からの差別を、「被害者意識かも知れない」と言いながらも疑念が拭い去れず、恋人からは「そんな事、誰も気にしてないわ」と励まされるが、彼の通うケンブリッジ大学の学長らは彼の居ない所で、「ユダヤ人は我々とは違う」と、平然と言い放っている。このハロルドが、学長らの言うアマチュアリズムには反する形で雇ったプロのコーチが、「半分はアラブの血」である点に、ハロルドの気概を感じる。学長らはコーチがイタリア系である事について質問しただけで、敢えてハロルドの方から言う必要も無い事なのに、彼はそれを口にするのだ。
エリックもまた、「神の為に走る」という意志を貫く為に、日曜に競技に出る事を拒む。そんな彼がスコットランドで人々に説教を行なった場面では、激しい雨が降っていたのだが、彼が話し終えた時には、すっかり晴れ上がって日が射していた。こうした些細な所にも、彼が天の加護の許に走る人である事が示唆されている。
エリックが宣教師として赴任する予定であるのが中国である事、ハロルドが恋人を見初めるのが、彼女が日本人役を演じていた舞台を観に行ってである事など、異国という存在を間接的に示す箇所が幾つかのあるのが、この映画の作劇的な一つの特徴だろう。
惜しいのは、肝心の「走り」の場面。選手役の俳優の貧弱な筋肉にまず説得力が欠けているし、ヴァンゲリスの音楽も頑張りすぎて、映像に対して前面に立ちすぎている嫌いがある。その結果、スローモーションの多用も相俟って、イメージ先行的な、フワフワと地に足のつかない印象の、実感の伴わない競技シーンに。観客の側が自然に場面に感動するのが待てないかのような、流麗な編集と音楽で色々と整え過ぎているのが却って萎える。
ただ、短距離走の、あっという間に決着がついた後での、スローでもう一度、疾走シーンを繰り返す編集には感心した。実際、一瞬の勝負に賭ける走者は、自分が走ってゴールした、という実感は、テープを切った後で初めて、徐々に湧きあがって来るのかも知れない。
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