[コメント] 恋や恋なすな恋(1962/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
一面の菜の花畑、石地蔵に橋蔵が狂人らしい願をかけていると、蝶々が2頭彼の膝元を舞い、画面は一面の菜の花色に反転する。橋蔵の肩にかけた女物の衣装との色調の美しさ。舞台は円形に回転を始め、キャメラは回転に抗うかのように橋蔵を捉え続け、橋蔵踊り狂う。いやあ素晴らしい。橋蔵も抑えた色気で持ち味を存分に出している。ここだけで鑑賞料金回収でお釣りが出た。
我々の世代は映画美術と云えばまず清順と教えられてきたのだが、邦画全盛期の豪華美術の基本は内田吐夢であり、清順は基本ではなくキッチュな応用、というのが正しいのだと、最近ようやく判った。
話は前半の後継ぎと朝廷叛乱話が後半どこかへ行ってしまうのが、どうしようもなく難。物語など老境の巨匠にはもうどうでもいいことなのだろう、という感想は、内田吐夢はその後も綿密な作品を物しているのだから出てきようがなく謎。超能力一家なら妖術対決など見せてほしかったものだが、原作にないから仕方ないのだろう。不吉な白い虹、というのが虹ではなく霞にしか見えないのもよく判らない。白い虹のほうが綺麗だろうに。
後半の狐の恩返しもイマイチ面白くない。「被差別民への眼差しがテーマの基調をなす」と劇場パンフにあり、浄瑠璃はそういう話なのかと感心はするが映画では伝わってこない。嵯峨三智子の役回りは生来の双子に狐の化身が加わる訳だが、狐が活躍するなら双子の設定はいらなかったように思う。狐がいなくなる虚しさが弱められている。舞台も一発仕掛けがあるが何ということもない。能面の狐は感じいいけど、アニメはこの監督らしくない。実写で撮ってほしかった処。
撮影美術で特筆ものはあと2点。ひとつは狐の毛利菊枝の住まう霧がかった家屋。もうひとつは瑳峨三智子(ゑぎさん、橋蔵ではありません)が障子に口で書く短歌を反対側から捉えたショット。後者はたぶん浄瑠璃でも用いられる件なのだろう。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。