[コメント] イージー・ライダー(1969/米)
自由への恐怖。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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「自由とは論じることで、自由な行動をすることではない」という確かそんなジャック・ニコルソンのセリフはこの映画の全て。自由きままな主人公が、民衆にしてみれば(自分の存在を危うくする)危険な存在であるということからでたセリフである。
「神が存在しなければ、神を発明する必要があった。」ピーター・フォンダのこの言葉も意味深い。簡単に解釈すれば、次のようになるだろう。 自由には大きな責任を伴う。民衆は神を発明し、神の教えに従う(すなわち、自由を神に預ける)ことで、そうした責任から逃れる必要があった。 主人公の2人組は、このキリスト教の枠からはみ出した存在とも言える。ドラックで倒錯の中、墓地の十字架にすがるピーター・フォンダが印象的だ。
こうした自由人である主人公の行く末は、ラストシーンにつながる。
<<余談として>> 無宗教の日本を考えると、世間体・常識等により、自由な発想・個性を束縛することで、個人の責任をあやふやにする仕組みとなっている。
結局、自由は束縛される運命にあるようです。
●参考文献;ドストエフスキー著「カラマーゾフの兄弟」
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