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[コメント] イージー・ライダー(1969/米)

あらかじめ彼等は死んでいる。競争とは諦念である。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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アメリカン・ニューシネマは諦めている。『俺たちに明日はない』から『タクシー・ドライバー』まで。ケラワックの影響なのかベトナム戦争の反映なのか。もっと前向きになろうぜと云いたくなるほど最初から諦めている。本命の本作などその典型だ。

ピーター・フォンダデニス・ホッパーの凸凹コンビは何も主張する処がない。資本主義の産物であるチョッパーバイク乗り回し、麻薬の密売で儲けて「自由」になれるはずもない。彼等は寡黙だ。こんなこと長続きする訳はないさという刹那感が支配している。彼等は道化、時代の徒花だという自覚を無意識に抱いている。彼等の唯一の主張は16ミリで撮られた娼婦らとのバッド・トリップの幻覚(よく撮れていて面白い)での告解だ。何と涙ながらに神に許しを乞うのだ。

この映画で称揚されるのは序盤のメキシコ人家族であり、砂地に種をまくヒッピーのコミューンは対照的に配置される。「育つさ」とフォンダは呟くがそれは願望のレベルに過ぎない。滅びの美学全開である。別にレッドネックに射殺されなくても、あらかじめ彼等は死んでいるのだった。

ジャック・ニコルソンはUFOについて語る。「金星には戦争も通貨制度もない。指導者も必要としない、全員が指導者だ。高度な技術のおかげで日常は競争なしに満たせるんだ。金星人は忠告している。人間が神のように自分を制御できれば、人間は飛躍し進化できるんだ」。深い意見だ。金星は当時の共産国のメタファーだろうが、ソ連崩壊のとき、やはり競争がないと国の進歩はないのだと我々は聞かされたものだった。当時より90年以降に観たほうが、本作の諦念は具体的、この予見性こそ類稀な作品の所以と思う。競争とは諦念である。

(評価:★5)

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