[コメント] ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966/日)
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先ずこいつは凄い設定と言うことに驚かされる。イタコの言葉を信じてどこにいるとも分からぬ兄を探しに行ったところ、たまたま乗り込んだヨットが金庫破りの持ち船。しかもトラブルで出航してしまったら遭難していきなりビンゴ。しかもそこには日本人による大規模なテロ組織があって、隣島はインファント島。しかもその地下にはゴジラがいる…ここまでご都合主義の物語を作ってしまったと言う点を先ず評価したい(あれ?)。
本作の主人公は元々はゴジラではなくキングコングだったそうで、ひたすら明るく作られているのはそのためか?でも、その方向性が以降のゴジラの性格を決めてしまったのだから皮肉な話だ。
本作は福田純によるゴジラシリーズ監督第1作。この監督は昭和ゴジラ中期から後期にかけての作品の多くを監督した人で、ゴジラシリーズを怪獣プロレスにしてしまった張本人。そう言うことで評価しにくい監督さんではあるが、一つこの監督作品には評価すべき部分があると思う。
本多猪四郎監督によるゴジラシリーズは概ね怪獣の陰の部分を強調して描かれていたのだが(大人向きという方向性ではある)、福田監督による怪獣は徹底して陽の部分を強調している。怪獣は怖い存在であると同時に、人間が利用できる存在となり、上手く使えば人間の役に立ってくれる。そんな存在へと変えていった。子供向きの方向へゴジラシリーズを転換したのは、延命の意味では正しかったし、きっちり一つの方向性を明示してもいた。なんだかんだ言っても彼がゴジラシリーズを引っ張ったのは確かな話だ。
それで本作だが、上記の通り、とにかくすさまじいご都合主義の固まりな上に、新しく登場した怪獣はエビラというなんのひねりもないキャラクター(大体ゴジラにエビの化け物が釣り合うか!最初から勝負目に見えてるじゃないか)だったり、表題にバーンと大きく登場したモスラがラストにちらっと登場するだけとか(そういや以降の作品のモスラは幼虫ばっかりだけど、これの子供なのか?)様々な問題を抱えているが(致命的とも言える)、そう言うもんだと思って観る限り、結構温かい目で観られるんじゃないかな?
前作『怪獣大戦争』(1965)でシェーをやってくれたゴジラは今度はキャッチボールをやってくれるし、日本人離れしたくっきりした目鼻立ちしている水野久美がなんの違和感もなく原住民やってるとか、今回悪役で登場した平田昭彦がまるで『ゴジラ』(1954)ばりに眼帯で登場するとか、結構見所はあるから、楽しんでみようと思えば充分楽しめると思う。
ただ一つ、少々気になるのがラストの台詞。確か「これからは核も使い手の心次第だ」 だったと思うけど、この台詞かなり当時の世相を知る手がかりになると思う。『ゴジラ』はそもそも日本敗戦を決定づけた原子力爆弾の驚異へのオマージュがある事はよく言われることだが、ゴジラ=原子力と考えてみると、「使いようによって、原子力は人間の役にも立つんだよ」という事を暗に語っているような気がしてならない(当時は既に日本に原子力発電所設立は決まっていたし、本作の2年前の1963年には試験発電が開始、3年後の1970年には初の商業原子炉敦賀1号が運用を開始してる)。世相なのか、それとも何らかの意志が働いていたのか…考えすぎだろうか?
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