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[コメント] 真夜中のサバナ(1997/米)

イーストウッドがここから『ツイン・ピークス』や『運命の逆転』のようなエッセンスを取り出すことに興味がないのは、自国の歴史に正対しようとするからだと思う。
おーい粗茶

コロニアル文化からくる社交界、南部に根付くブードゥー教という「歴史」から、ホモセクシャルという「今日」までが地続きであるということと、この事件の顛末を描くということが等しく重要に感じる感覚は、自国人が自国の歴史や文化を前にした場合、多かれ少なかれそれに正対してしまうことに拠るからだと思う。最後の武士道を描くとき、日本人はそれが「勤皇」だったのか「佐幕」だったのか、「藩士」なのか「浪士」なのか、そういうことからつながってくる意味から自由に飛躍できず、「武士道」のエッセンスになかなか辿りつけない。または、アメリカ人にとって西部劇は、開拓の歴史、先祖たちの叙事詩であって、ガンをたよりに生きる男のロマンだけを追求してみることが案外できないものであるように。監督には、大富豪の疑惑も奇妙な住人も、このサバナというものからは切り離せないもので、ことさらそういう歴史や文化に正対して描いていく構想を最初から明確に持っていたと思う。この事件を通してサバナという街を描きたかったのだ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)緑雨[*] mal ganimede

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