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[コメント] ガントレット(1977/米)

執拗な「包囲」の主題。アクションのスペクタクル性と、社会に於ける個の闘いへの深化。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「Gauntlet」とは、二列に並んだ兵士の間を、鞭や棍棒で殴打されながら通り抜ける刑罰の名称らしい。当然、蜂の巣バス走行シーンを連想させられるが、そこに至るまでのシーンでも、「完全包囲」という状況は執拗に繰り返されていた。ガス(ソンドラ・ロック)の自宅を警官たちに包囲されての一斉射撃。道中でジャックしたパトカーが、警官のみ残して行かせた先で包囲されて一斉射撃。その後、ガスとベン(クリント・イーストウッド)は洞窟で口論となり、ガスが愛想を尽かして出て行きかけたところ、ベンの「ガラガラヘビにご用心」の一言でやはり戻ることに。ここでガスは、洞窟の闇に包囲されている。このシーンに先立つパトカー蜂の巣シーンでも、横並びになって待ち構える車のヘッドライトが、右から左へ移動するカメラワークに合わせて一つ一つ消えていくカットを挿み、闇でパトカーを包囲していた。

更には、一夜明けた洞窟の前にバイク野郎たちが群れてくるシーンでは、ベンは自ら彼らの囲いの中に入り、警察手帳と銃と「神のご加護」を振りかざしてバイクを一台奪う。これは、警察組織を信用できなくなったベンの強がりであり、殆どやけっぱちな、警官としての自己確認でもあっただろう。先立つパトカー蜂の巣シーンでも、車体の警察マークが銃弾で穴を空けられるカットがしっかり挿まれていた。ベンは、自分に立ち向かってきたバイク野郎を威嚇する為に、そいつのバイクに銃弾を撃ち込んでいたが、奪ったバイクでガスと共に疾走するシーンでは彼自身が、追っ手のヘリから放たれた銃弾でバイクを撃たれている。

ベンが電話ボックスからジョゼフソン(パット・ヒングル)に連絡しているカットにヘリが早々に介入してくる箇所は、何だか悲惨すぎて笑えてくる。ヘリのプロペラが巻き起こす砂埃が横向きに流れる中を疾走するバイクや、トンネルの中で一時停車してタイミングを計る箇所での、トンネルの穴越しにヘリが覗くショット、俯瞰ショットによる大胆な空間把握など、空撮好きの僕にはなかなか美味しいシーンだった。また、ここで二人が乗っているのがバイク、つまり身体を剥き出しにした状態であることや、地上の小さな点としてのバイクが上空のヘリに追われる構図は、これもまた空、ないしは空間そのものによる「包囲」という状況を描いてみせる。

運よくヘリから逃れた二人は、列車に乗り込むシーンで、再びバイク野郎たちに「包囲」されるという、嘘のような不運に見舞われる。ここでベンが窮地から逃れるのは、警察の権威ではなく、干草の中から拾い上げた拳銃。ガスの、ビッチらしい度胸と、銃によってのみ自らを救い得たベン。警官としての矜持はここで完全に放棄されたと見做すべきだろう。その代わりに彼が獲得したのは、バイク野郎と一緒にいた女が「女を殴るの?」と批難がましく言うのも構わず思いっきり殴り飛ばすような哲学だ。

最初に二人が襲撃を受ける救急車や、ガスの家、ベンが電話をしていた電話ボックス、と、彼らの身を包む「囲い」に容赦なく銃弾が撃ち込まれるシーンの連続の果ての、バスのシーンへと至る直前のシークェンスは、幾らか展開がモタついているようにも映じてしまうのだが、モーテルの一室という「囲い」に守られて将来を誓い合う二人の姿を描くこの箇所は、本作の主題にとっては必然でもある。鉄の囲いとしてのバスを走行させるシーンは、鉄板による防御によって視界が遮られたせいもあってのノロノロ運転となり、それ故に撃ち込まれる銃弾も夥しいものとなる。この銃撃に耐えるということそのものが、本作のドラマなのだ。単に物理的な攻撃に耐えるということではない。市警のボスであるブレイクロック(ウィリアム・プリンス)の権威によって、町そのものに「包囲」される状況に打ち勝つということだ。この「権威」とは、ベンが既に放棄し、代わりにガスを選んだ当のものだ。ガスが、ジャックしたパトカーの人質警官が下品な言葉を浴びせかけるのに見事言い返したり、ブレイクロックの、拳銃で女を支配しようとするヘタレぶり(裸の彼女に「うつ伏せになって脚を広げろ」と命じたは逮捕とのアナロジー?更に片手で彼が行なっていたのは恐らく自慰)をベンに語る行為には、偽りの男の権威へのアンチテーゼとしての彼女の立場が表れている。

ラストシーンで二人は遂に、警官たちの「包囲」の輪から出て行く。当初は、裁判の証人として護送される筈だったガスだが、結局はこのラストで、ベンに銃で脅されて告白した検事はブレイクロックに撃たれ、ブレイクロックはガスに撃たれ、銃弾によって決着がつけられてしまう。だが、考えてみればベンは、銃で誰かを脅すシーンはあっても、バイクに銃弾を一発見舞ったシーン以外、誰かや何かに向けて銃を撃ったシーンは無かった気がする。むしろ専ら、銃弾から逃げ、銃撃に耐えていたのがベンだ。救急車のシーンでも、追っ手の銃撃に対抗して撃ち返すのは、ベンではなくガスだ。

この、銃との関係性について言えば、本作でイーストウッドが演じていたのは、『ダーティハリー』とは真逆の人物。ハリーは法の無力(抽象性、制限)に直面してはいたが、ベンが直面するのは、法の担い手たちの腐敗なのだ。ベンとは長年の付き合いであるらしい同僚のジョゼフソンは、飲んだくれでだらしないベンと違って出世コースに乗っている。彼は、妻子持ちでなければデスクワークなど拒んで現場に残ったと言うが、家庭の為に働くジョゼフソンが、検事の裏切りに遭って、ベンを狙った銃弾に倒れることで、本作に於ける「法」への絶望も決定的なものとなる。そうしてベンは、ガスと共にある未来としての「家庭」の為に、全ての法と権威を敵に回すのだ。

(評価:★4)

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