[コメント] フルメタル・ジャケット(1987/米=英)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
イグアノアさんのレビューを最近表紙で見て、「あぁ、そういえばこんなのあったなあ。昔テレビで観たけど、最近『突撃』も観たことだし、もう一度観てみるか」と思って鑑賞。
印象に残っていたのは後半の廃墟での狙撃兵との戦い以降のところだけだったのは、恐らく前半部分を見逃していたためと思われる。あかんねテレビでだらだら観ては。
多くの方が指摘しているとおり、前半と後半は全く別の雰囲気を持った作品だ。だが、確かに前半の訓練学校で養成された新米海兵隊員達が、後半の戦場に出て行ってお互いに虚勢を張り、罵りあいながら、この戦争の意味や、自分自身がこの戦いに参加することの意味についてそれぞれが考えを持ちながらも戦って人を殺す。
彼らは確かに鬼教官が生み出そうとした殺人兵器である反面、人間としての心を失っているわけではなく、仲間をかばうことを忘れず、自分達が救うためにこの戦いに参加しているにもかかわらず全く感謝しようとしない南ベトナム人への疑念と失意を露にする。
この映画でキャラクター性を持って登場するベトナム人は、スリと娼婦(とその元締め)だけである点に留意しなければならない。北と南を問わず、ベトナム人はこの映画では全くといっていいほど描かれていない。それは、この映画が焦点を当てているのが米軍の中でも自他共に認める最精鋭である海兵隊員が、過酷な戦闘を経てなお、(映画の中で彼らの独白として登場する台詞に反して)単なる殺人者ではなく、人間としての苦悩や迷い、失意といった感情を持って戦場に身を置いている、ということであり、その点を巧妙ともいえる手法で極めて客観的に描いたところにこの作品の注目すべき点があるのではないか。
また、同様に女性がほとんど登場しない点も特異だ。画面に写っているのは99%が男達で、女性は娼婦と、狙撃手くらいでしかない。
あまり言いたくないことを言ってしまうと、この監督の作品には、常に「記号」が数多く含まれている。登場人物については、映像を観た瞬間に「鬼教官」は「鬼教官」、「娼婦」は「娼婦」、「何をやってもダメなデブ」は「何をやってもダメなデブ」、「銃を手にして半狂人のスナイパーになったデブ」はそのとおりに、といった具合だ。また、「目を引くもの」を意識的に見せることもしている。ピースマークと「BORN TO KILL」と書いたヘルメットの組み合わせや、兵士が持っている装備(ぶらさげている煙幕など)などに見られるように、意味を持って描かれているものを観客に「注目させる」のが非常に巧みであると感じられた。それを全部言ってしまうのは大変だし、面白みが半減するかもしれないのでここではしませんが。
一つだけ、最も大きなプロットについて触れるならば、後半の最大の山場であり、重要な登場人物である狙撃手が、画面に殆ど登場しない「ベトナム人」であり「女性」である、ということが、この作品の緊張感と意外性の演出なのではないか。これを言ってしまった途端にこの作品が陳腐になってしまう気もするので、やめておこうかと思ったのだが。
いずれにしても、キューブリックらしく、音楽や台詞は他の監督の作品とは完全に一線を画したオーラにあふれている。カメラワークも秀逸だ。シンメトリックな映像(養成学校で整列する兵士達、トイレなどに観られる)、手持ちカメラでの長尺回しによる距離感の出し方(前半の野外での訓練風景、後半の廃墟での戦闘)は「天才」というよりは「職人芸」ではないかとも思う。
個人的には、『時計仕掛けのオレンジ』を観て「なんじゃこりゃ」と思ったものの、『突撃』を経て本作に至り、やはり他の作品も観てみたくなった(まだ観てなくてすいません)。次は『2001年宇宙の旅』か、『アイズ・ワイド・シャット』だろうか。
(2002.5.11)
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