[コメント] 姉妹坂(1985/日)
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なにをとちくるったのか、俺も見直してしまった。もう一度観る気はないと書いていたのに、ケーブルテレビでやっていたもんだからつい。
いやー、これがね、嫌いじゃないんだな、やっぱり。そして嫌いじゃない理由もはっきり分かったよ。
永遠の自主映画少年・大林宣彦の悪いところが全部出ていること。
全編止めどなく流れるBGM、変な効果音、わけのわからんミュージカル趣味、男優の趣味の悪さ(自主映画監督は皆カッコイイ男は嫌いらしい)、やたらうざったいエキストラ達、そして何と言っても「大林特撮」。わははは!リア・プロジェクションだ!書き割りだ!峰岸徹が腹から目玉出したら5点くれてやったものを!
だいたいこの手のダイジェスト映画、今後は「姉妹坂映画」と呼ぶことにするのだが、例えば『帝都物語』とか『上海グランド』とか、他に何かあったかな?思い付かないから募集しよう。いや、募集しないから。応募してくんなよな。まあ、とにかくこの手の映画の最大の欠陥は決まって「脚本」。こういう部分にこだわりがあるようで無いのも大林映画。
誰も指摘しないし、たぶん大林本人も気付いてないと思うけど、大林映画で「オッ!これは」と思う作品は剣持亘脚本か石森史郎脚本しかない。不思議なもんで、あれだけ仕事している石森史郎も逆に「オッ!これは」と思う結果を残しているのは大林作品くらいしかない。「しかない」と言いつつ、あくまで私の主観なんだけどね。「いや、そんなことはない。こんな映画もあるぞ!」と腕に覚えのある人はチンピラの如くかかってきなさい。尾美としのりの如く白バラをまき散らしながら受けて立つから。いや、受けて立たないから。かかってこなくていいから。かかってくんなよな。
「姉妹坂映画」のパターンはエピソード(あるいはイベント)の羅列。エピソードの羅列は往々にして人物の感情の流れが寸断される。おまけに展開が早いから、観ているこっちの気持ちが整理できないうちに登場人物の感情が変わってしまったりする。オイオイ、もう解決しちゃったのかよ!とか。 これは趣味の問題なのだが、私は、この「感情の流れが寸断される」ことが不満でならない。 私の感じる映画の面白さの一つに「感情の流れ」がある。見た目の派手さとかアクションとか変な特撮とか自体はどうでもよくて、人物とそれに付随する観客の「感情の起伏」が面白いのだ。 それを熟知していたのがヒッチコックで、あの人のテクニックは見た目の面白さだけではなく、登場人物を通じていかに「恐怖」という感情を観客に与えるかが主眼だった。 それはセットが豪華だとか小道具が本物だとかCGがリアルだとかいう次元ではなく(そういう些細な点で萎えないような配慮は必要だが)、むしろ、どんなに荒唐無稽でも「感情」が「リアル」でありさえすればいいのだ。
大林“ロマンチックおやじ”宣彦がそれを理解しているかと問われれば疑問が無いではない。 だが、終盤に向かって話の収拾がつかなくなり投げ出したように終わるパターンが常だと思われる他の「姉妹坂映画」に比べ、この映画はそれなりに話が収束していく。 これはひとえに、終盤の展開と“ロマンチックおやじ”の趣向が上手くかみ合った結果なのだろう。最終章だけは不思議と感情の流れが自然に思えた。 宮川一朗太が戻ってくるまでは。 終わってみれば、「なんだ、案外いい話じゃない」という映画なのだった、と見直して気付いた。 宮川一朗太が戻ってくるまでは。
いずれにせよ3点は付けすぎのような気もするが、最後の最後で布施明の熱唱まで笑えたので加点。
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