[コメント] ビッグ・リボウスキ(1998/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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タクシーの運転手や深夜放送のDJが話しそうなこの手の話は、実話ならではのオチのない宙ぶらりんさや、登場人物たちの(物語の進行と関係のない)意味不明な行為などの面白さがある。「なんで(笑)?」という問いを受け付けない。(「だってそうなんだからしょうがない」となるわけだ)。
暴行されたことよりも敷物を汚されたといって憤り(←このあたりがもう「なんで?」を拒絶させる仕掛けになっている)、それが元で犯罪に巻き込まれながら並行してボウリング場でぐだぐだしているという状況のおかしさというのは、ふつうのフィクション(作り話)ではなかなか生み出せない味わいを生み出している。ふつうの物作りの理屈からいえば、ブシェーミは何のために配置されているのかわからない。が、「いや、だって実際そういう友達がいつもいっしょだったんよ」と、そこを計算して作っているあたりがこの監督兄弟にとっては創作上の至高の喜びなのだろう(変な喜びだ)。巷で知る「面白い話」とは、メッセージはなくとも面白さゆえ無名の語り部たちによって伝えられていくフォークロアであり、究極それは「神話」である。次の話がオーブラザーになっちゃっていくのも当然のように思うのだ。
で、この「面白い話」惜しいのはボウリングの絡ませ方が少し表面的だったかなというのと、ジュリアン・ムーアの出てくるエピソードがあまり面白くなかったこと。よくわからないけどLAの描き方の、観光地としてしか知らない人間には絶対無理な描き方などから想像されるこだわりを「ボウリング」でこそほとばしらせて欲しかった。草野球でもエアロビクスでも水泳でもなんでもそうだと思うけど、流行でスポーツをやっていない人たちって傍からみるとなんかふつうに変なもんですよ(←共感で言ってます)。そういった意味からすると、グッドマンやタトゥーロの面白さはやや作りすぎで(面白いんだけど)、やっぱりブシェーミのような人がボウリングやっている面白さっていうのが、監督の目指す「実話風」の面白さの本質であるように思うんですが。
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