[コメント] 哀愁(1940/米)
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いまと比べるとシンプルな技術だけで物語が紡がれていく。その確からしさには頼もしさに似た安定感がある。
回想形式をとったことも、「どういう過程を経て冒頭に繋がるのだろう」というサスペンスを醸成し、物語世界への注目を維持する効力があった。だが例えば、大尉の死を報じる新聞記事を目にし、気を失うマイラ(ヴィヴィアン・リー)の姿は、演出意図としては彼女のイノセンス(純真さ)を描く目的だろうが、私には彼女の独り相撲、独り善がりに見えてしまった。その後現れた大尉の母(ルシル・ワトソン)に対し、不躾な態度をとる姿も同様だ。これも意図としては大尉(ロバート・テイラー)の死を母親に知らせたくないという気づかいを描いてみせたのだろうけど。
このように、いったん彼女というキャラクターから身を引いて眺めてしまうと、もう駄目だ。物語の裏にある映画の欲望が見えてしまう。街娼に身を落とした事実を隠して大尉の妻に納まろうとするマイラに、共感は寄せられない。端的に言うとこれは、<所詮は手に届かない幸せ>という世の中にあふれた現実を基底とした、ある種の不幸せ願望である。幸せの一歩手前で身を翻す彼女の姿は、同じような物語構成をとりながら表面的な幸せも手にしてしまう現代の同じような寓話映画と比べると、つつましやかであるとは言えるかもしれない。また私の好みから言っても、この方が<幸せ>をより神聖に描くことになると思う。だが、いつの時代も変わらぬ欲望の、その在り方に邪さや怠惰を感じて嫌気がさす。
構成によるせいもあると思うわけだが、物語世界にイマイチ入り込めなかった。
75/100(07/03/22見)
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