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[コメント] 知りすぎていた男(1956/米)

狭義に、自己防衛ではなく、他者を助けるために行動する主人公像が、感情移入を可能とさせてGOODなヒッチコック作品
junojuna

この時代、スタジオワークが主なヒッチコックが、遠くモロッコまで飛んでロケ撮影を実現させた。映画空間が広がり、これまでの作品にはなかった情緒を獲得して、映画のボディを楽しめる快作となった。本作がその他のヒッチコック作品と違って、主人公の行動に納得と感情移入が図られるのは、これまでヒッチ作品の主人公が巻き込まれ型の自己防衛だったのに対し、本作では巻き込まれ型ではあるが、誘拐された息子を救出するという、今までにあらわれることの少なかった、他者のために自己犠牲を厭わない行動パターンが展開し、それゆえ能動的なアクション性が増したことに物語に強さが生まれているためだ。また、脚の低いソファに座る心地の悪さや、チキンを手で食べるというアラブの習慣、教会の鐘にぶら下がるジェームズ・スチュアートなど、ユーモアの配置がシリアスな空間に絶妙な配置で用意され、ひじょうにバランスのとれたエンターテイメント作品に仕上がっている。とりわけハイライトは、豪奢なオペラコンサートホールで、暗殺者がカーテンの脇からピストルを向けるシーンである。優美なアリアに支配された劇場空間と、息詰まる暗殺までのカウントダウン。カットバックで見せるヒッチコックの対比空間は、実に巧みなサスペンス演出となっている。そしていうまでもなく、ドリス・デイが歌う「ケ・セラ・セラ」である。父・ジェームズ・スチュアートはなんとなく軽薄な感じを思わせもするが、母・ドリス・デイには芯のある強き母性が宿っている。ヒッチ作品で描かれる女性は、美しさと同居する善なる強さが見られないのが特徴であったが、本作でドリス・デイが醸しだした強き母性は、ヒッチサスペンスを超えた人情物語として強い。

(評価:★4)

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