[コメント] めまい(1958/米)
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この映画におけるジェームズ・スチュアートは「過去」に襲われつづける男である。深刻な高所恐怖症に悩まされるスチュアートの、その高所恐怖症の原因となるのは「過去」(=ファーストシーン)に起こった出来事であり、この映画でスチュアートが巻き込まれることになる事件の黒幕は彼の「学生時代」の友人である。さらに、キム・ノヴァクを愛するようになってからのスチュアートにとってバーバラ・ベル・ゲデスは(いささか誇張した云い方をすれば)どうでもよい女性に過ぎないのだが、「かつては婚約もしていた」という仲であるゲデスは、いまだに抱きつづけているスチュアートへの想いを事あるごとにほのめかしてくる。すなわち、スチュアートにとってゲデスとは自分を襲いつづける「過去」に他ならない。
曾祖母カルロッタの亡霊に憑かれた(という芝居をする)ノヴァク=マデリンが(まさに「過去」を可視化したものであるところの)樹齢二〇〇〇年の樹の年輪の一点を指差し「ここで私は死んだ。あなたに見捨てられて」と云ってスチュアートに対する復讐を示唆し、スチュアートはまたしても「過去」に襲われるのかと思わせながら、しかしその復讐が果たされることはない。当然である。実際はノヴァク=マデリンもスチュアートもカルロッタとはまったくの無関係だからだ。
ノヴァク=マデリンが死んだと思い込み心に傷を負ったスチュアートは、彼女を初めて見たレストランや美術館をさまよい「過去」をなぞる。その過程で偶然ノヴァク=ジュディとめぐり逢った彼は、彼女にマデリンと同じ服・髪色・髪型・メイクを強要し、「過去」を可視化し、甦らせようとする。さらにジュディとマデリンが同一人物であることに気づいた彼は「『過去』を乗り越えるため」と称して、忌まわしき事故の現場である修道院に彼女を連れて行く。「過去」に襲われる男として存在するスチュアートが、あろうことかこのように自ら「過去」を反復するような真似をするのだから、彼が「愛する女性(マデリン=ジュディ)の転落死」という最悪の「過去」に再び襲われることはもはや当然だと云える。自業自得である。
といった観点から『めまい』を見たときに問題となるのは、ヒッチコックがどのように「過去」なる抽象的なものを提示してみせているか、という点だろう。上に述べたように「樹の年輪」や「ノヴァクの服・髪色・髪型・メイク」をもって「過去」を可視化する手際は見事だが、惜しむらくは肝心なところをフラッシュバックに頼ってしまったこと(ジュディが塔での出来事を思い返すところ)だ。しかし、序盤ゲデスの家でスチュアートが低い脚立に乗ったときの一瞬のフラッシュバックは実に効果的。物語の前半部においてまさに復讐する「過去」(=亡霊)として振舞っているカルロッタが肖像画という形で現前化し、さらにスチュアートと切り返しで結ばれる、という点も非常に興味深い。
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