[コメント] 激動の昭和史 沖縄決戦(1971/日)
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……映画においては“ここがクライマックスである”と呼べるシーンが存在する。恋愛映画なら二人の恋の最終的な結末であり、アクション映画ならば主人公の命がけの戦いがある。私の好きな怪獣映画なら、怪獣同士が戦うか人類が怪獣を倒そうとする場面がそうだ。戦争映画においても例外ではないが、やはり一番重要なのは、最後にどういった戦いが描かれるか、ということだろう。
ところが本作の場合、最後に描かれるのは「戦い」ではない。軍司令官達が自決した後、民間人が次々と玉砕されるさまが延々と映し出されるのだ! 兵士ではない、民間人が、青年婦女子、お年寄りまで、次々と死を選ぶ。これがこの映画のクライマックスである。
……自分達を護ってくれるはずの兵隊さんたちが、次々と鬼畜米兵にやられて死んでいく。外に出れば弾丸砲弾の雨あられが降ってくる。周りを見れば、傷付き、倒れている人達しかいない。これでどうしろというのだ。もしも、逃げも隠れも出来なくなったらどうするのだ? アメリカはもう目の前まで迫ってきてるんだぞ!! その時に残された道は一つだけだ……
現代におけるアメリカ軍の捉え方と60年前のそれを一緒にしてはならない。アメリカは「敵」でもあり、圧倒的な力を持った「恐怖」でもあった。おそらく沖縄の人達には、それがとてつもなく大きな驚異であり、かつ恐るべきもののように見えていたに違いないのだ。その恐怖を現代を生きる自分が判ろうとしても、それは難しい。第一、60年前と同じ「恐怖」が現代の日本に存在するか? そして、もはやどうすることも出来ない恐怖に対し、何も出来ない、誰も何もしてくれないと気が付いた瞬間、「絶望」が彼らを支配したのだろう。「生きる道は無い」と判断して……。かくして命を絶った人々も含めた民間人の死者数、計15万人。
『日本のいちばん長い日』で軍上層部の苦悩を描くことに鬱屈が溜まり、それを晴らすべく翌年『肉弾』において地を這いずりまわるような戦争映画を作り上げた岡本喜八が、最後に民間人の死を持ってきたのは当然の結論であろう。本土が沖縄を見捨てた結果を、あの場面において全て見せようとしているのだ。そして、沖縄だけでなく、もしも「一億火の玉」ということになれば、あのような地獄絵図が日本中で繰り広げられたかもしれないという事実を。
「そんなことありえないよ。」馬鹿かお前は。それが戦争って奴なんだ。所詮我々の平和論など「危険なところに入るな」「物を大切にしよう」と同等の甘ったるいものでしかない。60年前に何が起きたかを、もう一度見なくてはなるまい。そして改めて叫ぼう。
俺達を絶望させないでくれ、と。
ラスト、海岸に山ほど転がっている死体の山。その中を歩く一人の子供が、死体の持っていた水筒を手に取り、中の水を飲み干す。ここに、絶望から立ち上がろうとする人間の強い意思を見た。動けない花はそこにある血で咲くしかないが、人間は生きるための水を求めて歩き出すことが出来るのだから。
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