[コメント] 鏡(1975/露)
映画を見終った人むけのレビューです。
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この私映画において母親と理解し合えずにいるタルコフスキーは最後には精神を病んで病院のベッドに横たわる。そして今や老婆となった母と「本人の思い込みよ」「放っておいてくれ」と投げやりに言葉を交わし、傷ついた小鳥を投げ上げるのと前後して、回想のなかで幼少の彼は老婆に向かい「ママ(納屋が)燃えているよ」と呼びかけ、手を取られてとっくに廃墟になった納屋を眺めながら草原を彷徨う。
母と妻の両方をマルガリータ・テレホワが演じるのは、母を見捨てた父の罪をタルコフスキー自身が反復してしまったことへの強迫観念でありすごい自虐であるが、それだけに止まらず、この混乱は最後には時制を踏み越え、幼少から老婆を母とするに至る。母も妻も女性一般に溶解してしまう。
本作、黒髪の少年がタルコフスキーの息子だから過去と現在の時制は一応判るようになっているが、最初からタルコフスキー幼少時の丸坊主の少年と同時に登場したりして、区分がたいへん曖昧に撮られている。しかしこれは単なるディレッタントな韜晦ではなく、時制を崩壊させて共時的な女性性を描くための巧みな方法なのであった、と最後に知らされる。「そこに未来が現れる」のだ。『ノスタルジア』での虚構の築城が想起される。
さて、この詩の朗読は、疲弊した兵士の行進の記録映像をバックになされる。疲弊したソ連という印象が強い。印刷の誤植を巡る件も明らかに政治的なニュアンスが感じられる。しかし軍事教練の冷静な教官(ここでの手榴弾処理のアクションは素晴らしい)を一方では描いてもいて、これもまた疲弊した描写だが個人レベルでの非難はなされていない。
タルコフスキーには「映画と睡魔」に係る論文があるらしく、当局の検閲官が寝ていて気づかないように撮っていたのかも知れない。息子が幻想を見る件の直前には、妻がバッグの中身を床にぶちまけてしまいこれを拾い上げる長い長いショットが挿入される。こういう呼吸がリアルで一級品なのだが、話の筋だけを追いたい人にはとても邪魔だろうと思う。
私が最も印象的なのはスペイン内乱から避難する一団の記録映像で、人形を抱えた少女が微笑み混じりに振り向くのだが、キャメラ目線のその表情を俄かに曇らせて口元を歪ませ、なぜという顔になる。するとカットは馬鹿でかいアドバルーンの映像に切り替わるのだ(Wikiによると初の成層圏飛行船の成功の映像らしい)。そして哀しげな音楽が鳴る。このニュアンスは複雑で判らない。ただのナンセンスにしては少女の顔は哀し過ぎるのである。
冒頭に登場する吃音の青年は、そんな解説は見たことがないがタルコフスキーに瓜二つであり彼本人だろう。最初から最後まで私小説並に自分をさらけ出しており、すごい覚悟で撮ったものだと思う。文弱の芸術だが、真剣だから嫌味がない。本作、確か画集になっていたはずで、大学生協で高額で売られていて、いったい誰が買うのだろうと貧乏学生は思ったものだが、いまでも欲しくて仕方がない。
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