コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] サウンド・オブ・ミュージック(1965/米)

この映画が実話に基づいたものであることに驚き、そして感動した。人間って捨てたもんじゃない。
mimiうさぎ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







史実をたった3時間に収めた名作。トラップ家、史実と映画の比較

●背景−映画ではマリア(1905年生まれ)は7人の兄弟姉妹の家庭教師となっていたが、実際は体の弱かった次女マリアの家庭教師だった。1926年10月より、1927年6月30日までの予定。 <ミニ知識>マリアは修道院に来る前、師範学校に通っており、教師の資格を持っていたため選ばれた。

映画と実際の兄弟姉妹の名前比較。

長男:ルーペルト(1911年) → フリードリッヒ

長女:アガーテ(1913年) → リーズル

次女:マリア(1914年) → ルイザ(第1次世界大戦勃発)

次男:ベルナー(1915年) → クルト

三女:ヘートビック(1817年) → ブリギッタ

四女:ヨハンナ(1919年) → マルタ

五女:マルティナ(1921年) → グレトル

映画では、長女リーズルが一番年上となっていたが、実際は二番目に生まれている。

<ミニ知識>兄弟の母アガーテ・フォン・トラップ(旧姓ホワイトヘッド)は、1922年32歳の若さで亡くなっている。 1925年にトラップ一家引越し暮らしていた、ザルツブルク郊外のアイゲンにあるトラウン通り34番地は、現在「ゲオルク・フォン・トラップ通り」として親しまれている。

●大佐の婚約者−実際はイボンヌ嬢だが、映画ではエルサ・シュレーダー男爵夫人。

●結婚の申し込み−映画で大佐は自分の口でマリアに結婚を申し込むが、実際は子供達を通じて申し込んでいた。

●トラップ・ファミリー合唱団誕生と破産−1933年、トラップ家の銀行「ラマー・アンド・カンパニー銀行」が破産。財産を失った一家は、生活費を得るためマリアの提案で、家に礼拝堂を作り、大学の神学部の教授と学生達に部屋を貸すようになる。 その礼拝堂でのミサの時、フランツ・ヴァスナー神父がトラップ一家に合唱を指導したのが、「トラップ・ファミリー合唱団」の始まり。部屋を借りに来たソプラノ歌手ロッテ・レーマンが、トラップ一家の歌を聴き、合唱祭のコンテストに参加するよう勧める。 映画では、大佐の親友で金もうけをたくらむマックス・デトワイラーが一家を音楽祭に連れ出したとなっている。

●逃亡−映画では音楽祭の直後逃亡した事となっているが、この音楽祭がきっかけで、トラップ一家とフランツ神父の「トラップ・ファミリー聖歌隊」を結成、世界30カ国以上で千数百回のコンサートを開いて人気を得る(〜1956年)。オーストリア共和国の首相クルト・フォン・シュシュニックにも招待され、絶賛を浴びたり、ヨーロッパ巡業ツアーも行っている。

●ナチスドイツの旗を掲げるのを拒んだ事件は、実際は1938年。長男ルーペルトがインスブルック医大を卒業してからの事。同時にナチ海軍省からの通達、(潜水艦の艦長)を拒み、それが原因でルーペルトがウィーンの大病院での就職を断わられる。

●オーストリアの代表としてアドルフ・ヒトラーの誕生日パーティで歌うように言われたのをきっかけに、祖国を脱出する決心。

●フランツ神父と共に、イタリア南チロルの山を登り、サン・ジョルジョ村へ。その後、(大きく省略して)アメリカへ亡命。

映画ではこの史実を上手く織り交ぜた、「絶妙」な脚本に仕上がっている。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)Myurakz[*] ジャイアント白田 uyo

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。