[コメント] トゥルー・クライム(1999/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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僕らが魅了されるのは、何よりも登場人物間の関係性だろう。スティーブ(クリント・イーストウッド)と同僚たち、娘との関係性。死刑囚フランク(イザイア・ワシントン)と看守たち、妻子との関係性。ちょっとした会話の雰囲気から、彼らが長い時間をかけて築いてきた関係性が感じとれる。
だからこそ、フランクの許を突然訪れた白人牧師の独善的な振る舞いは、看守たちや刑務所長のみならず、観客の反感をも煽る。一方、スティーブがフランクと対面した際には、上司からの命令通りの取材が一通り済んだ後に彼が発する「君は俺のことを知らないんだ。俺はキリストの話なんかどうでもいい」という台詞から、二人の真の関係が始まるのだ。スティーブはまた、事件の証人にレストランで取材する時にも、私を疑うのかと訊く証人に対し、「初対面だから、あなたを知らない」と答える。
つまり、一目で相手を判断することなど出来ず、人の間の関係性は、一定の時間をかけて築かれるものだ、ということ。事件の真犯人であった黒人少年の許を訪れたスティーブは、祖母のラッセル夫人から、「この辺で人が殺されることがあっても、誰も真相を探りになど来なかった」と、黒人への差別を訴えられる。この黒人少年の境遇は、冤罪で死刑になりかけているフランクと酷似したもので、一つ間違えば、フランクが犯人になっていてもおかしくなかったのかも知れないとさえ思える。だが、むしろそれだからこそ、実際には殺人など犯さず、被害者の白人女性とは友好的な関係であったフランクは、犯人と十把一絡げに扱われるべきではないとも言えるのだ。
既に、題名の「True Crime」とは何かは明らかだろう。真犯人は、死刑にされるまでもなく彼自身、犯罪に巻き込まれて死んでいた。一方、例の白人牧師は、刑務所長から「あんたはロクデナシだよ。精神的な意味でね」という言葉を浴びるが、そのシーンで独り画面に残された牧師は、「私の救いを求めるなら、ここに居るぞ!」と恍惚の表情で言い、その頭上からは光が下りてくる。自らの清らかさへの傲り。対してスティーブはといえば、酒と女と煙草が止められぬ、肉体的なロクデナシ。事件を嗅ぎつける鼻を頼りのワーカホリックな男でもあり、そのせいで妻子をないがしろにしてしまっている。その上、その嗅覚で無罪だと直感し擁護しようとした犯人は無罪ではなかった、という情けない過去まである。だが、罪無くして処刑されるというキリストのような運命からフランクを救うのは、このスティーブなのだ。
フランクの妻子が最後の面会に訪れる場面は、一方のスティーブがあちこち忙しく移動し続けているのと対照的。妻子とずっと一緒に居続けるフランクと、一見楽しそうな動物園早周りさえ娘を転倒させるという酷い終わり方をしてしまうスティーブ。フランクの娘が父に贈ろうとした草原の絵に必要な緑のクレヨンをなくして泣くシーンは、刑務所員たちが皆でクレヨンを探す様子が感動的なのだが、それに続いてスティーブのシーンに移る際、レストランの壁にかかる絵の草原からカメラが動いて、証人に取材するスティーブを捉える、という形で、フランクたちが真に探しているものを見つけようとしているのがスティーブであることが一目で分かり、更に感動的だ。スティーブと証人の座る席の向こう側に大きく開いた窓ガラス越しには、外の樹の緑も見え、やがてフランクにもたらされるべき解放を感じさせる。
この、全く違う立場ながらもどこか並走してもいる、スティーブとフランクの関係が良い。二人のキャラクターはまるで正反対で、だからこそ、その二人が共に妻子との関係を断ち切られそうになっていること、周囲の人間たちと独得な繋がりを獲得していることなどの共通性が印象深いものとなる。それ故、劇中では15分程度しか顔を合わせていない二人が、最後に軽い挨拶だけで伝わり合う関係となることにも説得力がある。
草原の絵という点では、冒頭でスティーブがナンパしていた若い女性記者ミシェルの家を、フランクの事件の手がかりを探しにスティーブが訪ねる(というより勝手に侵入する)シーン。ここで父親が、娘が幼い頃に描いた絵だと言って見せる絵にも、緑の草原が描かれてある。ここで、フランクの娘とミシェルがリンクし、更には、金髪の白人娘ということで、スティーブの娘ともリンクする。登場時間は少ないが、ミシェルは物語上の重要な鍵のひとつなのだ。
フランクの為に奮闘するスティーブだが、それは、彼が英雄的で献身的な男だからというよりは、酒・女・煙草に耽溺するのと同じように、仕事にのめり込んでいるからだ。だから終盤、諦めた様子でバーで酔っ払っているスティーブが、テレビのニュースで手がかりに気づいて出発するシーンでは、馴染みであるらしい老バーテンからの「運転するのか!?」というツッコミを背に店を出る。最後の最後まで、規範を踏み外したロクデナシとしての本質を失わないスティーブ。彼が運転する車がガードレールに接触して飛び散る火花や、彼を追ってくるパトカーのサイレンとパトランプの群れが、画面に華を添える。このラストスパートの演出など、死刑執行のギリギリ感も相俟って、いかにもイーストウッドらしい「まるで映画のような」映画だ。電話を受けた刑務所員らが「もう手遅れだ」と言いながらも急いでフランクの注射針を外す様は、制限時間と格闘し続けたスティーブの闘いを、彼らもまた反復しているのだと言えるだろう。
リアルタイムかと時に錯覚させられるような時間経過の演出の中では、編集長アラン(ジェームズ・ウッズ)がスティーブの言葉に、チョコスティックを口にしかけた状態で固まったところで終わったシーンが、別シーンに移ってからまた戻った際にこの固まったところからまた始まる編集など、「笑い」という形で活用してもいるのがまた巧い。
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