[コメント] 戦場のメリークリスマス(1983/英=日)
様式美を振りかざすのには訳がある。
ホモ・ゲイと呼ばれる人々は日本でも昔から存在している。戦国時代の武将にとってそれは「衆道」といい、特異なものではなく、織田信長も前田利家や小姓の森蘭丸と肉体関係にあったのは周知の通り。
現在では隠すのが普通ではあるが、カミングアウトする行為がある種の「格好好い」行為に変化してきている。
何故だろう、ゲイの人々は必ずしも肉体の関係を究極の目的としておらず、精神的な関係を大事にしている。男女間の性欲を目的とした恋愛事情とは一線を画し、それゆえそこに様式美といったモノが生まれ、男女間のそれよりも1ランク上の愛情行為として認知されようとしている。
したがって先端を自負する芸術家や知識人がこぞってゲイへと転向していくのだ。 繊細で高貴な愛情には様式美が必要不可欠だ。三島由紀夫がそうであったように大島渚もその旗振り役をしている。
しかし、実際はどうなのだろうか。上野のO劇場や全国の公園・サウナの「ハッテン場」と呼ばれる場所に行くと、そこでは凄まじい光景を目にすることができるだろう。とても様式美などという戯言がまかり通る光景ではない。そこにあるのはエロ・グロの世界のみだ。
大島渚もそんなことは充分知ってのことだろう。だからこそあの出演陣で様式美を振りかざしオブラートで覆う必要があったのではないだろうか。
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