[コメント] フランス軍中尉の女(1981/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
初主演、と言っても当時30歳過ぎですでに実力も貫禄も十分なメリル・ストリープ。後年よりもむしろ入念な演技に、最高のアマチュアリズムを感じる。その圧倒的なパフォーマンスを支えるキャストやスタッフも、万全。味わい深い傑作と思う。
かつての栄光はどこへやら。英国映画の70年代は、ご他聞に漏れず「英国病」で失われたようなものだった。
80年代になって、新しい風が吹いて来た。低迷期からの脱却を象徴する作品は、商業的社会的成功という意味では『炎のランナー』だったかもしれないけれど、表現としての面ではこの『フランス軍中尉の女』の成果は大きかったように思う。と言っても、この作品が新たな表現の世界を拓いたのではなく、伝統の質の高さが損なわれていないこと、それがこの時代にも有効なことを示すことで。
その意味で、この作品の成功が、法外な才能を持つ新人アメリカ人女優に多くを負っていたことは,80年代以降の世界ではどんな分野でも「国粋主義」が成立しなくなっていくことの象徴にも思える。制作チームは、当初の計画では英国演劇界の至宝たるヴァネッサ・レッドグレイヴのための作品を構想していたようだが、それが頓挫したのも偶然ではなかったのかもしれない。
しかし、予備知識無くこの映画を見れば、誰もがメリル・ストリープをイギリス人だと信じて疑わないんじゃないだろうか。ヴィクトリア朝時代と現代の、どちらのブリティッシュ・アクセントも完璧であるというばかりでなく、何と言うか、ファッションも歩き方も笑い方までブリティッシュなんだから、これがアメリカの女優と知れば呆れるほか無い。それが劇中でも「アメリカの女優」という設定なんだから念が入っている。
内容的にはやはり単なる不倫愛憎劇ではなく、そこは英国流で「チャタレイ夫人」同様に、資本主義経済の発展による社会の変化と、それに伴うオトコとオンナの意識や恋愛行動の移り変わり、という下敷きがあり、「自我に目覚めた女性」と「自己中心的な所有妄想から脱却出来ない男性」という構造が浮き出る二重のエンディングは圧巻。公開当時、映画館で観たときには鳥肌が立った覚えがある。
ロンドンでは多くの「職にあぶれた普通の女性たち」が街角に立っていた、というヴィクトリア朝時代のイングランドの田舎で、教養を持ち、因習的な価値観に反発し、孤立し、蔑まれながらも「自分自身の自由な人生」を求めてやまないサラと、その役を演じる女優であり現代の「自立した」女性であるアンナの二役をメリル・ストリープは見事にがらりと雰囲気を変えて演じるが、相手役のジェレミー・アイアンズはヴィクトリア朝時代の高等遊民チャールズでも現代の若手俳優たるマイクでも、ほとんど見分けがつかないくらいだ。このこと自体が、二つの時代の男女の意識の変化(というか女性の進化と男性の相対的退化?)を皮肉にえぐり出している。
さすがイギリス映画と思うのは作者の皮肉に限りが無いことで、劇中劇では「自由な自分の人生」を獲得するサラに対して、現代のアンナは、不倫相手の奥さんの、子どもに囲まれて庭いじりをする平凡な主婦生活対して「あなたがうらやましい」と言い出し、その理由を問われてしどろもどろになる始末。アンナは、何を求めているのか、自分で自分が判らなくなっている。あれほどサラが渇望した「自由」とはいったい何だったのだろう?
今回、DVDで再度鑑賞して感じたことはいろいろあるが、過去の名作に対する遥かなオマージュのように思えるシーンも多かった。たとえば、工場から出て来る女工の群れでは『カルメン』を、鏡を見て気が変わるシーンでは『モロッコ』を思わせ、それらのストーリーが隠し味のように働いて、この作品の印象をさらに味わい深いものにしている。カール・デイビスの音楽もいい。こういう「品位のある」音楽をつける人は本当に少なくなった。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。