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[コメント] 千羽鶴(1969/日)

∞世代に渡って引き継がれる男女の泥沼劇内の、止まる素振りを見せない永遠の男女関係を増村保造が鬼のように活写。また、若尾文子の作中での止めどなく流れる涙は、これまでの増村保造との仕事を思い出しているかのようであった。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







例えば豊田四郎監督の『猫と庄造と二人のをんな』は、猫を通じての女の男を巡る戦いなので、終始分かり易く見られた。他にもあるのだが、この作品は役者陣の力強さに加えて壮絶なまでのリアル感の過多で、見ていて緊張の連続が続き、相当の集中力と体力を要した。目を不意に閉じている間、瞬き中にまで何が起きるか判らない展開が大半を占めていて、飽きる素振りを見せない。それが嬉しくも、拷問にさえ思えた。が、観客はMにならざるをえない。

[化け物]

ノーベル文学賞受賞記念の映画なのに、当初主演だった市川雷蔵が病に倒れ降板し、その市川雷蔵五ヶ月後に死去するし、増村保造と若尾文子がこの作品を最後に別の道を探る。ノーベル文学賞受賞記念映画のはずが“映画界と市川雷蔵の別れ”と“増村保造と若尾文子の別れ”を演出するとは、作品の怖いほどのこの世のモノとは思えないほどの威力と、黒アザに、社会世相に渦巻く怨念めいた呪縛を感じる。また、少し変わった褒め言葉で言うならば、怪談モノとして十分通じすぎる何かが存在する気配が天こ盛り。恐ろしいまでの清楚な鬼畜めいた演出を施した、増村保造の撮影中の形相は凄かったと映画を見て、想像し怖かった。増村保造まさに化け物だ。化け物以外に撮れようか。

[二匹目の化け物]

若尾文子の艶やかさは太田夫人としては健在ではあったが、肌の張り具合を間近にすると、やや限界の印象を与えるのは確か。で、逆に京マチ子の路線変更の成功の妙が、若尾文子の脱映画的清純派を達せない姿を飛び台して、最後まで映画に生き残っていたと思っている。若尾文子の美しさと演技力を足しても、京マチ子の丸みを帯びた美しさと底知れぬ怪しげな演技力には太刀打ちできずにいた。だから京マチ子は、この映画に潜む二匹目の化け物であり、化け物を超越した女優である。

[三匹目の化け物]

そして、三匹目の化け物は平幹二朗だろう。船越英二のイメージと、船越英二が演じた菊治の父のイメージが絶妙に見ている人間の脳に、納得の感情を芽生えさせそれに対して妥当性を保つことを良しとしたので、超自然的に「船越英二=菊治」を設定できた。その強固な、長年に掛けて一般社会で行われてきた洗脳プログラムを断つ事を為し遂げた平幹二朗は凄い。誰しも心配していた「出だしで船越英二だよ、おいおい、これ以上の男を越えられるの?」を見事に制覇。ある種の暗黙の了解でイメージ化された船越英二が、若尾文子を食べて梓英子を食べてしまい満足げな表情をせずに、まだ食い足りなそうに演技する平幹二朗に駆逐される様。化け物以上にどう形容すればいいのだろう。平幹二朗もまた、化け物野郎だ。

2003/1/12

(評価:★4)

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