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[コメント] フランケンシュタイン(1931/米)

一瞬たりとも気を抜いていない。ふざけていない。丹精を込めて拵えられたクラシックに美しい画面だ。美術のよさは実験室や風車小屋に限らず、墓場や岩場などの屋外も。とりわけ空の禍々しさはただごとではない。ボリス・カーロフの登場と湖のシーンはトーキー初期らしい無音の、凄まじい緊張感。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画を見て何かを学ぶというのは私の柄ではないけれども、この固有名を持たぬ怪物の悲劇は(フォード三人の名付親』やジャームッシュナイト・オン・ザ・プラネット』のフィンランド篇のように)「名づけること」の尊さを教えてくれる。ここで名づけることとは、臆面もなくナイーヴに云えば「愛を与えること」だろう。したがってこの怪物にまつわる真の悲劇とは「生みの親」たるコリン・クライブが名前という名の愛を与えてくれなかったことであり、また怪物に愛を向けえたかもしれない唯一の人である湖の少女のみが彼に名を問うというのも決して偶然のことではない(あのような「事故」さえ起こらなければ、そして怪物が名を持たぬことを知ったならば、彼女はきっと素敵な名前を彼に授けたことでしょう!)。

映画を見て何かを学ぶというのは私の柄ではないと云ったけれども、さらに偉そうに云わせてもらえば、「何かを学ぶために」「学習の道具として」映画を見るというのは動機として不純だと思う。「映画」を舐めた態度だと思う。しかしながら、よい映画はすべて―カーロフの発明的なヴィジュアルを持ちつつもそれに頼らず、創意を尽して作られたこの美しく恐ろしい映画もまた―こちらの思惑などまるで関係なしに暴力的に私に教えを与える。私が映画を見つづける理由のひとつは、おそらくそこにある。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)tredair[*] ゑぎ[*]

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