[コメント] モダン・タイムス(1936/米)
自分が生きている時代(time)を批判的に見てみたらどうだい? チャップリンが時を越えて問うている。そして、批判するならそれなりの覚悟や対案が必要なのだということ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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冒頭の、羊の群れを人間にオーバーラップさせる場面から工場でのドタバタ劇を通して、機械文明に対する批判を気持ちいいほどのテンポで展開し観る者を笑わせる。で、笑わせといて結局どうなったか? チャップリンは貧乏のままなのである。
しかし貧乏のままだからといって、決して不幸なわけではない。心は満たされていたのだ。好きな人と一緒なんだから。つまり、これがチャップリンの覚悟であり対案なのではないか。「生活のために機械に支配されるくらいなら貧乏でいいさ」という。
さて、今我々が生きているこの時代を批判するならどうであろうか。例えば地球環境が荒れてきたことを批判するとする。温暖化とか酸性雨とかオゾンホールとかなんとか・・・。批判するのは簡単だ。「森を焼くな」「アメリカは煙をだすな」とか。
大事なのは批判したその後である。批判に対する答えが楽観的である保証はないのである。答えは「おまえ今より貧乏に生きろ」であるかもしれないのだ。だとして、果たして私はチャップリンのように貧乏を受け入れることができるだろうか。分からない。エアコンの効いた部屋でパソコンを打ちながら頭を悩ますのみだ。
チャップリンの批判精神は痛いのだ。
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