[コメント] 鬼火(1963/仏)
エリック・サティの、沈黙よりも静謐な音の響き。この映画に於ける映像の連なりもまた、その種の静けさを湛えている。「愛撫とは、この上なくそこに在るものを、不在として求める焦燥である」(E.レヴィナス)。届かない愛撫としての彷徨。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
女たちも、友人たちも、アランに親しげな笑顔と言葉を贈ってくれる。その事が却って、「物に触れられない」と嘆くアランの絶望を裏書きする。彼の病室の扉は、壁と一体化して、より閉塞感を感じさせる。装飾的な部屋の中で、物に触っていくアランの、時が止まったかのような場面。こけしや、小さなアメリカ国旗、ニューヨークの妻、友人がエジプトに傾ける研究熱、病院の食卓での哲学論義、級友たちの、政治闘争への情熱、熱い視線を向けてくる恋人、麻薬に耽溺する詩人、等々、アランの周りにある、他人たちの情熱。その中で、己が心中の冷たい暗がりへと沈んでいくアラン。あの哲学論義にあったように、理性よりも意志の問題だ。だからアランは、自らの意思で死ぬしかない。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。