[コメント] 顔(1999/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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いや、別に大分県だからということではなくて、
阪神大震災の混乱にまぎれて逃げてきた彼女が巡り会うのは、苦境のさなかにある者ばかり。そして彼女自身は、常に妹の亡霊に苦しめられている。首をつろうとしても「重み」ゆえにそれがかなわない。死のうとしても死ぬことができない、これはまさに地獄の状況ではないか。(そういえば電車の中で佐藤浩市が読んでいた雑誌の表紙はサリン事件についてだった。これは少々あざといが…)
視点を転じて作品構造のなかでの彼女の位置を考えると、彼女は楽園を追われた罪人、もしくは《魔》に近い存在なのかもしれない。彼女の刻印である手配書の《顔》によって安住の地に長く留まることは許されず、あの魔除けのような扮装をした狐の子たちの描く円軌道にはじかれ《祭》への参加も許されない。罪人の彼女にわずかに許されるのは、その場その場での追っ手の手を逃れること、その日の食べ物の心配をすることだけである。先のことを考える余裕が与えられないのだから、自首するなど思いもよらないことである。
だが、それでも彼女は逃げ続ける=生き続ける、その姿が次第にたくましさを帯びていくさま(「浄化」されていくニュアンスも少し感じる)を観るにつけ、強い人生讃歌の語調を感じる。あの音楽はかなりこの確信に力を貸してくれる。
と、ここまで言っておきながらなんだが、藤山直美がいくら汚れてても構わないのだが、彼女を取り巻く人物や世界自体が小汚いのはかなり苦手である。構造には惹かれるのだが、結果としてこの点数。
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