[コメント] ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000/英=独=米=オランダ=デンマーク)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
たくさんポイントはあるけど大きく二つの軸があると思う。セルマの物語と、罪のあるなしに関わらず死刑の問題。死刑の問題は「デッドマンウォーキング」にもあった。どんな悪人でも処刑される刹那は悲しい。いわんやセルマは、である。
同情すべきセルマの人生。不運の連続。
もっと素直に恋人や友人の助けを受けるべきではなかったの?同情されたくない、自分の力でやり通したい(そこが彼女らしさの長所でもあり短所でもある)と彼女の誇り高さがそれを拒否している。
そんなセルマを責められない。誰も似たようなものだ。私だって人生失敗だらけだ。
しかし、誇り高き人物は他にもいる、不器用な人物もいる、のに彼らが全てセルマのような結果になるわけではない。何故セルマなのか・・・・大家さんとのめぐり合わせが不運とも言えるけど、決定的なミスは銃の暴発のあと、だと思います。あの場面は痛々しい。セルマは請われたからといえ、自らの手で銃の引き金を何度も引いている・・お金を取り戻す為とは言え、頭を殴りつけている。この場面はセルマの最期を見る側に覚悟させます。彼女は息子を助けたかった。他人の命と引き換えに利益を得たのである。冤罪なんかではない。息子を助ける為に人の命(と結果的に自分の命)を犠牲にしたのである。そしてそれは神の意志?とは反する?のだと思います。(「奇跡の海」は完全に聖書物語でした。こちらも一種の聖書物語だと思います。)
さて、セルマは赦されたのか・・?映画では殺人の後ミュージカル場面になり許しを請い、許されてます。(「そんなつもりじゃなかったの」この呟きで時間が戻ったら、どんなにいいか。そう言う瞬間が人生には多々ありますよね。)セルマは神に赦されたのか・・。セルマは自分の心に一点の曇りもない。神を期待もしていない。神も現れない。そんなセルマは罰せられたのか?ここから先は私の頭では結論は出ませんでした。ただ処刑は必然であり、死刑を目前にして動揺するセルマも当然です。子供の目の手術が成功した、というのが神からの赦しかも知れません。
・・・・・・
「遺伝すると分かってて何で産んだのか?」「この手に赤ちゃんを抱きたかったの」この時のビョークの顔は素晴らしいです。この合理的でない判断、それゆえ人間らしいのかもしれませんね。 全編この人間臭いビョークの拙い生き方に、痛く胸打ちました。反対に拒絶反応を起こす人も当然いると思います。でも私はこの巧く生きれなかった彼女を高く掲げたい気分です。処刑された彼女を永遠に心に留め置きたいです。
この映画の周りの人間は(不思議な事に)全て善い人ばかりです。優しくて心広くて・・これもセルマの幻影かも知れませんね。或いはトリアー監督の弱者・障害者に対する思いが反映してるのかもしれません(現実はそうではない)
映画自体も成功失敗の紙一重を剃刀の刃の如く綱渡りを続けてるように見えるけど、どっこい太いです。それは幾つもの対立軸を持つ脚本と、人間への確かな目線と、聖書への理解と、ビョーク=セルマの存在が大きいからだと思います。
ビョークの処刑までの101歩はもう迫真の演技以上の演技です。「I can't brezth !!」は永遠に耳に残ってます。只者ではない歌手ビョークは演じても凄いんですね。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (4 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。