[コメント] 花を摘む少女と虫を殺す少女(2000/日)
先日、大阪は九条のシネ・ヌーヴォーで鑑賞したのだが、上映前に矢崎仁司監督の舞台挨拶があった。
監督は、黒いハットをちょこんと頭にのせ、サングラスをしたチャップリンみたいな風貌。
監督:「この映画で大切なシーンは……ありません。途中、ご自由にトイレなり、寝るなりして…気楽に観て下さい…4時間という、長い…長いかナア…ま、長い作品ですので…」
「この映画は、僕にボールを投げたまま、逝ってしまった人たちに捧げます。」と、特別に今回のリヴァイヴァル上映のために(*注1)、本編の前に短編を追加した旨を語った。
それが、コメントタイトルであり、短編のタイトル"with love for"で、後に続く名前は、デレク・ジャーマン、クシシュトフ・キェシロフスキー、趙さん(*注2)、もうひとりの名前は失念。かなり興味深いフィルムだった。
そして、グラント・リー・バッファロー氏もご指摘の、長い本編のオープニングが始まる―
4時間というトンデモナイ長尺、ドキュメンタリータッチ、リアリズムというと、最近の『ユマニテ』や『プラットホーム』でのニガい個人的経験を思い出し、かなり構えつつ、もしかして『EUREKA』みたいな奇跡的体験になるかもと期待半分だったが、「気楽に見てねん」の一言で、寝てやるつもりで観た。
ところがどっこい、目を凝らしたくなるような、ハッとするカットの数々、耳を済ませたくなるような、胸と膝を打つコトバの数々、途中から思いっきりメモってしまい、眠くなるどころか、トイレに行くのも憚れるくらい、<奇跡>の瞬間の連続。
思うに、もし本作が2時間に手堅くまとめられれば、あまりに饒舌すぎて、観客は「窒息」してしまうだろう。優れた作家が「行間」を大切にするように、この映画もまた、その行間を必要とする上での4時間なのだ。作品の重要なキーワードとも思える、「日常は奇跡の連続、それに気付くのも人間、気付かないのも人間」をまさに作品自体が実践し、また、「何かが変わる」瞬間を見るのための4時間なのだ。
朝顔の花が開くその瞬間、蛹から蝶に脱皮するその瞬間を、息つめて見つめていた子どもの頃を思い出す。(それを早送りして見せてしまうのは、教育番組の愚行)
ただ、それでも饒舌過ぎる点も否めない。それぞれのシーンやエピソードに、逆説的に言えば、関連性が強すぎ、「隠喩(metaphor)」が半ば「直喩(simile)化」している感がある。言い換えれば、観客に伝わりやすいように、ややもすると過剰に「親切」、説明的な点が気になった。それは、たとえばピーター・ウィアーにも共通するような、作家としての「ヤサシサ」ではあるが、そのヤサシサは、同時に作家として「命取り」になりかねない。できるなら、劇中のセリフでもある「自分の思考・感情を言葉にするより、舌を出した方がマシ」感や「自分の物語なのに手がつけられない」感を、確信犯的にでもいいから、もう少し見たかった。『EUREKA』の青山真二のように。また、それができないところが、この監督の良さなのかもしれないが。
〔★4.5〕
[シネ・ヌーヴォ/1.12.02]
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*注1:なつめさんのreviewによると、「特別」ということもないらしい。(笑)
*注2:「趙さん」については、なつめさんのreviewを参照されたし
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追記:
なつめさんのメモに、僕が心でツッコんでたこと、ほとんどあります(笑)。特に、あの紅白(黒だったカモ)ジャケットはないよなあ〜
ところで"I can't see anything but fuckin'sky."って、何の映画でしょう?
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