[コメント] チャップリンの 独裁者(1940/米)
エンディングのBGMについて。そして全裸のチャーリー。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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エンディングのBGMはR・ワグナーによる「ローエングリン第一幕への前奏曲」である。ワグナーがヒトラーに利用されたことはチャップリンも知らないわけがあるまい。ここに意味が隠されていると見るのは当然のことだと思う。 これは政治的な束縛からの音楽の解放を意味し、ワグナーが本来の姿を取り戻した音楽史上の事件でもあると思う。敢えて楽曲に使用したことは音楽の本来的な美しさを見ろ、政治の打算や偽りでなく本質を見ろ、というメッセージに他ならないと思う。この理解を前提にして見ると、「目を覚ませ、本質を見ろ」という演説の強度が増すのが分かる。演説は独裁者も利用した諸刃の剣だが、これを承知でチャーリーはトーキー映画という演壇に立つ。チャーリーは全く、全裸であの演壇に立ったのだろう。演壇に立つまでの無理矢理感がかえってチャップリンの覚悟を語り、僕たちは圧倒されることになる。
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