[コメント] 回路(2001/日)
「日々の不穏をインターネットを通じて感受するという誰でもある契機を、都市における人の死の突然性という別の契機とうまくミックスさせビジュアル化することに成功した作品」だったならば、もう少し高評価にしてもよかったのだが。
細部にはいいものが多い。たとえば、自殺をインターネットで公開する男や、突如タンクの上から落下する女や、主人公たちを乗せた車が走りすぎる脇にエンジン故障して火を噴きだしている車や、小雪が自宅の別室に移動するときのパソコン画面とのクロスカッティング(誰がPC画面の映像を撮っているのだ、という疑問を強烈に引き出させとてもうまい)などなど。
こうした断片を断片として理屈をつけずにつなぎ続けたほうがかえってよかった。幽霊の実在論議や、生と死についての次元の低い説明が多すぎた。「言葉」が過剰なために編集を制約し、映像への観客の自由な解釈も制約してしまうという映画にとっての最悪の状態が、全編を蝕んでいる。
役所広司の登場する船のシーンによるサンドイッチ構造など不要。(『渚にて』じゃあるまいし) 低劣キャストについては論及の必要もないだろう。
インターネットが異界につながるという単純発想は、いくらインターネットが映画に取り込まれた時期の嚆矢の作品といえども許されない。今までと同じ次元の都市伝説を作りたいだけの作品化といわれてもしょうがない。インターネットでコミュニケーションをとることの映画的面白さについて何にも考えちゃいないことがわかって鼻白んでしまうだけだ。このタイプの映画は旬が短い。だからこそ一閃のアイデアが物を言うはずだ。
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