[コメント] シド・アンド・ナンシー(1986/英)
リアルタイム世代によって作られてはいても、ドキュメンタリーという趣ではないのだろう。その魅力に気づいた時にはすでに失われていた世代にとって、自分たちの憧れや幻想に忠実であるように見えたのだから。
アレックス・コックスは、個人的なロンドン・パンクに対する思い入れに背くことなく語り切ったのだろう。
シド・ヴィシャスはナンシー殺しの容疑をかけられ、仮釈放中に別の女の家でドラッグを過剰摂取し、そのまま往生したというが、そんな現実の生々しさを全く無視したこの映画のラストはとても秀逸だ。仮釈放の際、シドは看守に対し一言――
シド「一つ聞きてえ。」
看守「何だ?」
シド「ピザ屋はどこだ?」
体制の端くれである人間に対して、どんな悪態をつくのかと思いきや・・・うまく言えないが、自分で思っていたところのシドがそこに具現化されていた気がした。ピストルズはあくまでパンク、いやロンドン・パンクなんだけど、シドはその存在自体が彼らとは毛色が違う気がしていた。反体制とか、そういう括りではない存在感が“マイ・ウェイ”一曲から感じられたのだ。ジョニーがテレビ出演で政治談議を吹っかけられて困惑している様子を尻目に菓子でも食っているくだりなど、パンクなんだけどピストルズじゃないという自分のシド像を具現化してくれたような気がした。
自分の年代にとっては、もはやパンクは手に入らない代物だった。CDを聞いたって、それは余韻であって、そのものじゃない。同年代のそれっぽいのを聞いたって、残念ながらぜんぜん別物。この時代のロンドン・パンクに感じられるような切なさは永久に手に入らない。余韻から幻想を抱くしか術がない … FUCK OFF!
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