[コメント] 女は二度生まれる(1961/日)
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若尾文子ほどの女に「命より2番目のものをなくしたのよ! 喪に服す真似事くらいしたっていいでしょ!!」と言われたら男は死んでも本望だ。永遠に安らかに眠り続けられるだろう。
ところがあとでこの女に「奥さんがおかしくなるのも、私が悔しい思いをするのも、娘さんが悲しい思いをするのも、みんなお父さん一人の責任ね。さようなら、お父さん」と言われたら。男はもう一度この女の気持ちを自分に振り向かせるべく、墓の下から化けてでも甦ることだろう。
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川島の描く人間風景は、私がこの世に見る世の中の肖像とたいへん似通っていて驚く。束縛を失った一人の女が、その純粋さのままに、刹那的な自由の中で生きていく。もう一度束縛を味わうも、それに絡め捕られそうになる寸前で、自分の意思とは係りなく、再び解放されてしまう。ラスト、彼女が佇む信州の駅から、戦時中に両親を空襲で失ったあと疎開したという、長野の伯父の家へ行ったのかどうかはわからない。だがそうしたとしても、この「帰省」は彼女に何ももたらさないだろう。ただの感傷に終わることだろう。だから、唐突には見えるが、ここで映画を終えるのは、川島の優しさであり、思いやりなのだ。係累のない彼女の人生の結末は、劇中で山村聡が言うごとく、間違いなく野垂れ死になのだから(案外うまく渡り泳いで、適当な落ち着き場所を見つけるのかもしれないが)。
確かに人間にはこういう部分がある。
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それにしても、ブンちゃん(フランキー堺)の細君、ほんのちょっとしか画面に映らなかったけど、ずいぶんイイ女だったなア。なんという女優さんなのだろう。
85/100(08/08/29見)
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