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[コメント] 荒野のストレンジャー(1972/米)

一見整合性が取れないように見える奇妙な部分が一番の肝のように思える。誰にも(善も悪もなく)容赦ない不条理さは災害を思わせるが、それは公平さですらある。言わばイーストウッドの『ゴジラ』。本気度が窺える「地獄の業火」。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







かつてこのラーゴという鉱山街で不正を告発しようとしてリンチされ殺害された保安官(ダンカン)の幽霊であったとして、何故、彼を見殺しにしたこの街の住人は、同じ顔をしたこのストレンジャー(原題=ドリフター)をダンカンとして認識できないのだろう。

これは、おそらく「集合的記憶の喪失」だ。にわか勉強(大事な話と思うが咀嚼するのはかなり難しい)なので、詳細を解説する力がないが、多分これだ。リンチはラーゴという社会の集合的記憶としていったん刻まれたが、埋葬されながら墓標に名前(記憶)を刻まれなかったのは、恐らく自らの罪の重さ(歴史)に耐えられなかった住民の意図的なものだ。歴史の隠蔽、抹消という表現でもいい。もちろん意図的でなかった住民もいるだろう。簡単に言えば、PTSD的な、特定の記憶のみ抜け落ちる記憶喪失だ。それでも、罪の意識だけが残り続ける。罪を掘り起こす契機になるものを、人は恐れる。このストーリーはシンプルな「祟り」、復讐譚として解釈しても良いのだが、集団的記憶を喪失させた、そのこと自体の罪を告発してもいる。自らの罪を、歴史を思い出せ、と。その点では、ドリフターはゴジラのような男だ。これはディザスター映画なのだ。

初出の鞭打ちシーン、住民の顔は暗闇の中で隠されている。ぽっかりと開いたあの暗黒は、代入可能な穴だ。イーストウッドが放つ「地獄に堕ちろ」は、ラーゴの世界の外、スクリーンの外にも向けられている。

イーストウッドらしい優しさは、小人(モルデカイ)とサラ(ホテルの従業員)に対してのみ、破壊された街を去る馬上から向けられる片頬の笑み。彼らは、僅かでも覚えていた、或いは覚えていよう、思い出そうとしたからだ。墓標に、彼の名前が刻まれたことで、彼は蜃気楼の中に去っていく。彼が行った破壊を思えば、当然ながら「カムバック!」との声はかけられない。しかし、この街はこれを契機に変わっていくだろう。複雑な感興を呼ぶラストだ。

(その他雑感)

・「赤く塗れ。教会は特に。」って、凄い台詞ですよねえ。牧師が無力なのが、この人らしい。そして「自ら力をふるう牧師」と言えば、、、

・フライドチキンとワインのオーダーは『ガントレット』にもあったのでちょっと笑いましたが、シャレになってないのが徐々に分かる本気度に痺れました。

(評価:★5)

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