[コメント] 妖婆・死棺の呪い(1967/露)
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冒頭、神学校の終業式から生徒らの帰省の断片ですでに傑作と判明する。山羊に聖書喰わせるプラックジョークは凄まじく、集団で禿山の天辺で鍋つくるカットは豪放な詩情に溢れている。本編がもし駄目でもこの掴みだけで記憶される映画になっただろう。嬉しいことに、最後までレベルが落ちず盛り上がり続ける。
魔女のヨロメキも飛翔も素晴らしく、農民連中は確かに幽霊より怪しく、進退窮まりヤケッパチなレオニード・クラブレフのコメディはフランキー堺並に堂に入っている。そして抜群の三晩。二晩目の礼拝堂の高低差を縦横無尽に駆使した撮影も箆棒なのだが、さらにすごいのが一晩目の同心円をナターリヤがパントマイムで巡るショット。その他彼女のノリノリのギャグに眩暈がする。聖書から鴉が飛び出すギャグもすごい。あれ、冒頭で山羊が喰った穴なのだろう。そして三晩目の主役登場でバカバカしさが完結する。ラスト、魔女の家に置き去りにされた他の二人が突然再登場し、レオニードの死は酒の肴にされ、円環を描いて見事に冒頭のバカ神学生ものに戻る。
本作はクストリッツァの諸作を想起させる(ホラーと云うより民話譚なんだろう。ゴーゴリだし)。彼のように、民族の猥雑を肯定的に描いたということであれば愉しさ満載、私もそのような作品として堪能した。しかし端々引っかかる。ことがソ連だけに眉に唾つけてしまう。あの国には宗教抑圧、コサック虐殺(300万人!)の咎があるのだから。
レオニードは酔っ払って「俺だってコサックの血を引いているのだ」と胸を張り、コサックダンスを踊る。彼は神学生として、コサック(軍事共同体)代表として魔女と闘う。ソ連当局はここを冷笑でもって眺めなかっただろうか。監督たちは当局のスタンスとどれほど近く、あるいは遠かったのだろうか。映画に政治色がない分、どうとでも取れる処がある。本邦の情報局映画同様、検閲前提の映画は厄介だ。
ソ連崩壊後の監督たちのコメントはあるのだろうか。もしそれが当局寄りだったら2点に評価を落としたい。一方、当局をおバカなホラーですよと騙して密かにコサックを称揚したのなら6点に訂正したい。5点は後者の予感とともに付けている。
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