[コメント] クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ノスタルジーに犯された大人たちが子供に戻り、過去を生きようとする。じゃあ、彼らは何でノスタルジーに犯された?現代が嫌だったから?父ちゃんも、母ちゃんも現代の何が嫌で、過去に逃げた?そんな彼らは過去の何に惹かれた?或いは、彼らは未来の何を信じ、現代に帰ろうと思ったのか?
映画が用意した答え――懐かしい匂いを打ち消したのは、世知辛い現代をそれでも懸命に耐えぬき、家族を支える家長の苦労の匂いだった‥‥
あの1970年が捏造された空間であるに過ぎないという設定がたまらなく嫌だ。あの時代の良さだけを抽出し、あの時代の苦労は無かったことになっている空間――そんなものが嘘っぱちであることは、しんちゃんに言われるまでもなく解っている。
この映画には、ヒロシの個人的なクロニクルが出てくるけれども、それは、ヒロシ個人だけではなく、「あの時代にはあの時代の苦労があった」ということを明確に描いてこそ生きてくるものだと思う。ワンカットだってかまわない、真実の1970年を見せて欲しかった。それを描いて初めて「過去の積み重ねの上に今があるんだ、だから僕たちは現代を生きるべきなんだ」という結論に達する気がする。
人の営みに過去も現代も無い――この真実で、「未来を信じよう、現代を生きよう」というポジティブなメッセージを裏付けて欲しかった。
それにしても、「俺だって、オトナになりたいぞ!」「ずるいぞ!」――5歳の子供にこんな台詞を言わせなければならないのか?だが、これらが真に受け入れがたい所以は、コドモがオトナを撃っているという構図を利用し、作り手がメッセージを発しがら、「お姉さんみたいな人と仲良くしたいから、オトナになりたい」「二人だけでバンジージャンプなんてずるい」――などと後付けて、メッセージがしんちゃんの設定年齢のリアリティーやキャラクターを逸脱し、壊しているのを誤魔化そうとしている点にある。これを二枚舌と言う。しんちゃんがしんちゃんに、そして5歳に見えなければ、コドモがオトナを撃つという構図が成り立たない。だが、偶発を装った確信的なメッセージは、明らかに、5歳のリアリティーもしんちゃんのキャラクターも冒涜している。
しんちゃんから見て、5歳の子供から見て、現代へ戻るためのモチーフが大人のそれである必要がどこにあるだろう?俺は、しんちゃんにこう言って欲しかった――「未来へ帰りたいぞ!だって『ウルトラマン』より『アクション仮面』のがもっともっとカッコイイぞ!」――今の子供たちにとって、今が何より輝くものであって欲しい。作劇場、難しいかも知れない。或いは、伏線を張れば可能かもしれない。だが、実現しえたかどうかが問題なのではなく、ヒロシがしんちゃんに『ウルトラマン』を押し付けるシーンで解る、原恵一が現象としてこのシーンを描きながら、その本質に想いを馳せていないと思えて寂しかった。
総じて大人のためでしかない部分が多い映画だと思う。ただ、大人の消失から始まる子供たちだけの冒険は、子供心にワクワクしたと思う。
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