[コメント] 妻は告白する(1961/日)
宿業とも言うべき執着の相が輝かしいオーラを放つ増村的女性の極致を見ることが出来る。しかし、登場する男にも女にもフォーカスを当てて見ることが可能な、カットされた宝石のような多面性もまたこの映画の魅力だ。
描かれているのは女の業だけではない。女の体に執しつつも女の心は忌避するどころか、そうした身勝手さを合理化することまでやってのける男の業がクリアにかつ一貫して描かれている。そのことに同意し共感するとともに男の性質の曖昧さの無いあぶり出しぶりに我が心底を見透かされたような心地よさを感じた私はやはりまぎれも無い男なのだが、同時に、こういう男の態度に煮えきらぬ芯のなさと虎狼のような用心深さと他者不信ぶりを糾弾する女が私の皮膚の下に一匹隠れ住んでいるのを感じるのも事実だ。
人間を社会化した存在以前のものとして見る視点、すなわち溝口健二を宗祖とする借り物ではない人間分析法の血統を、増村保三は今日的な(もちろん当時なりの)状況設定の中に改めて再現している。その肝となっているのが、こころもちハイキーのざらついたフィルムの肌理と、思い切ったローアングルからのグロテスクな構図と、あえて奥行きを浅くとった室内設計デザインだ。こうして男であることや女であることの閉塞性やつらさが奇跡のように生々しくフィルムに刻印される。
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