[コメント] 追憶(1973/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
余談から入ると、これは「午前十時の映画祭」で観た。早朝にも関わらず、場内は多くの観客で溢れ、制服姿のレッドフォードが現れると、それだけで場の空気が変わったような気がした。それを変えたのがかつてはレッドフォードファン少女であったであろう、今はそれなりの齢を重ねたお姉さま方たちであったことは言うまでもない。
そんなお姉さま方の空気が次に変わったのが、酔いつぶれたレッドフォードがストライサンドのベッドで寝てしまったところに裸になった彼女が自ら横になっていくシーン。これってある意味すごいシチュエーションだが、当時はこのシーンにも心張り裂けそうになっていた人も多かったはずだ。中には彼女が当時全米一のスターであったにも関わらず(そして彼女の歌は好きだったにも関わらず)、思い極まり過ぎて彼女のことを憎んだ人もいるかもしれない。
しかし、それとは反対にこのシーンでは、容姿を含め自分に今ひとつ自身が持てない彼女に自分自身を重ね、彼に抱かれているかのような妄想を抱いていた人もいるかもしれないと思っている。実をいうと、自分はその世代よりは少しばかり下になるのだが、それでも当時の彼の人気がものすごいものだったことはよく覚えている。そういう意味ではそんなお姉さま方の思いも決して間違いではないのではないだろうか。
そして映画は、そんなお姉さま方の思いを知ってか知らずしてか、2人の恋が成就する方向へと進んでいく。そんな中、彼女に向かって彼が言うこんな台詞。
「知ってるか、君は綺麗だ」
すごいね。こんなことを彼のような男から言われたらそりゃあ泣くだろう。「こんなことをあのレッドフォード様に言われたなら私死んでもいい!」なんていう当時のレッドフォードファン少女の声が聞こえてきそうな台詞だ。これが場の空気が変わった3番目のシーン。これにはさすがの自分も納得。この台詞なんかも、お姉さま方はまさに今はどんな思いでご覧になっていたのであろうか。また、最終的には2人はあんな形になってしまうわけだけれども、そんな映画の結末に対してもお姉さま方はどんな思いを抱かれていたのであろうか。これらのこと、もし聞けるものなら聞いてみたいものだ。でも、案外今なら冷静に「映画は映画だから」なんて言葉が返ってくるのかもしれない。けれど、それもひとつの答えなんだろう。そしてそれが齢を重ねるということなのかもしれない。
ちなみに、公開当時の首相は田中角栄だったはずである。余談で始まり余談で終わるが、こんなところにもこの映画との接点(?)を感じてしまうのは私だけだろうか。
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