[コメント] 緋牡丹博徒 花札勝負(1969/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「よござんすか」正義は勝つ!完膚なきまでに!「お発ちになったつではなかったとね?」そして恋の行方は・・・? おお、にっぽんの映画よ!
まさに日本人としてのツボを刺激された感じ。気持ちいいくらい涙が流れた。仁侠映画なんてほとんど観てこなかったのに、そんなツボが自分の中に存在していたことが驚きだ。物語の冒頭からたくさんの要素を開陳し、その一つ一つをうまく絡ませながらストーリーを紡いでいくというプロットの巧みさは、欧米流の映画にもある。その巧みさを堪能する部分もいいが、一通りきれいにたたみ込まれた後も続く物語があって、それはラストの大立ち回りと、そのあとに控えるもののためだけに続く。そんな部分に魅力を感じてしまうのは、自分でも説明できない。健さんや藤純子の役者としての魅力が十分発揮されているのは分るにしても、だ。これはいったいなんなんだろう?
一つ確実に言えるのは、恋愛事情を決して話の主軸に持ってこないバランス感覚。それでいて色恋を軽視しているわけではなく、むしろ話に陰影をつける原動力となっている点。実は欧米系のベタベタしたラブストーリーも大好きなのだが、こんな「しのぶ恋」みたいな物語には、涙をギュウギュウ絞り取られる。もっともラスト健さんが純子に傘を返すとき、「おふくろのぬくもりを感じたのが云々」言ってたのは私の中の恋愛の定義と違うので、自分の観たいものを映画に観てしまっているきらいはあるかもしれないが。
緋牡丹シリーズを観るのはこれが初めてなんだけど、これ以上のものがあるとはとても思えないという意味で、まずこれが最高傑作だろう。(これ以上のものがあったら凄すぎる。) 一つ注文をつけるなら、この作品だけを観た者には「緋牡丹・お竜」の緋牡丹の意味が分らない。たぶん背中(か肩か)に背負う彫り物のことだろうと考えて、立ち回りシーンで見せてくれるものと期待していた。あるいは、お竜は博徒なんだし、せめて片肌脱ぐシーンくらいはあるだろうと。ちょっとサービス精神が足りないよう。
確かに嵐寛寿郎は良かった。命を賭した鬼気迫る凄みの後に、仏様のように柔和な死に顔。あんなのが演技で出来るなんて凄すぎる!
不死身の富士松はラスト以外は活躍の場がなかったけど、前二作までで形成されていたのだろう、お竜との間に流れる、互いを同士と認めることからくる信頼感のようなものがさりげなく描かれていた。これは恋情ではなく友情だろう。あ。男と女の間の友情、ここにあるじゃん。
85/100(02/05/12記)
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。