[コメント] アザーズ(2001/米=仏=スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
書きたいだけ書きました。長〜いレビューです。
何故、許せないのか。一言で言えば僕がトリック大好き人間だからだ。昔から推理小説が好きだった。殺人事件や刑事が出てくるだけではダメで、絶対トリックがほしい。極端に言えば、トリックを楽しみたくて小説を読んでいるようなものだ。ヒッチコック映画みたいに、トリック無しのサスペンスももちろん面白いのだが、トリックはもっと好きなのだ。それも「おまけ」みたいに添えられたどんでん返しではなく、トリックを披露したい、ただそれだけの目的で書かれたようなストーリーが好きなのである。
これには反対の声もたくさんあるだろう。「映画の価値はトリックだけで決まるものではない。」「アイディア一本に寄り掛かった映画は嫌いだ。」「トリックだけでしか評価できないのは視野が狭い。」「『アザーズ』にはゴシックホラーの美しさがある。」けど、僕みたいな種類の人間がいることを理解して欲しい。(熱心なSFファンがハリウッドのSF映画を”エセSF”と呼ぶのはこういう心情だろうか。映画のミステリーに物足りなさを感じることがある)
いや、僕だってトリック以外の部分は大切だと思っている。トリックに合ったストーリーや演出を用意しないと、傑作は生まれない。
だがしかし、それでもやはり譲れないものがある。
これは僕が推理小説を読むだけでなく、オリジナルの小説を執筆しているからかもしれない。いくら素人の趣味とはいえ、トリックだけは他人の作品から拝借しないようにしようとしている。そして、それ一本で小説が書けるようなアイディアを出すのは簡単ではない。独創的なアイディアというのは考えれば必ず出るというものではない。ホームランは打とうと思って打てるものではないのである。それに比べれば、登場人物や舞台設定、ストーリー展開などをつくるのは楽なものだ。登場人物や舞台設定は、自分の身の回りの人間や物、他人の作品を参考にすぐ描ける。ストーリーなど、まったくのゼロから書き始めたって(面白い作品には仕上がらないだろうが)書けるほどだ。あとはセンスの勝負である。
そういうわけで、どんでん返があって感動できるとの評判を聞いてこの映画を観に行ったのだが、失望を通り越して怒りを感じた。
親子が死について語り合うシーンといい、三人の使用人の会話といい、一軒家のみで話が進む舞台設定といい、庭に埋まっている”何か”といい、劇中のあらゆる要素が、どんでん返しに向かって落ちているのだ。まさに「トリックのためのストーリー」なのである。こういう構成である以上、僕みたいな人間はトリックだけで評価してしまう。
ここから先は、”あの映画”と比較しながら書きたいと思う。
***** 注意!”あの映画”の題名も内容もばらします! ******
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↓ (よーく考えてから、先に進んでください)
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……では続き。
『シックス・センス』が先に公開されたから、だけではない。「アザーズ」は『シックス・センス』を超えてはいない。
僕は『シックス・センス』のことを、「映画史上に残る傑作」とまで絶賛した。じゃあ、もし「アザーズ」が『シックス・センス』より先に公開されていたら、同じように絶賛したか?答えはノーだ。
その理由をこれから説明するが、あらかじめ『シックス・センス』のレビューを読んでいただければ、より理解が深まるはずです。あちらも長いレビューですが、前半だけ読んでいただければ結構です。(「『シックス・センス』」のどれかをクリック!)
さて、ここから先は、登場人物が実は幽霊であったというオチを便宜上、「幽霊オチ」と言うことにする。
僕が「シックス・センス」を絶賛したのは、「幽霊オチ」ではない。「叙述トリック」である。それさえあれば、「幽霊オチ」でなくたって絶賛していた。あちらのレビューでも書いたように、「叙述トリック」にも前例がないわけではなく、細々となら使われていた。それを大々的に使ったところに僕は感動したのである。細々と使われていた例として、『身代金』がある。あの映画では前半、一か所だけでしか使われていなかったが、もし作品全編にわたって大々的に使われていたら、「幽霊オチ」などとは関係なく、絶賛したはずだ。大絶賛のレビューは「シックス・センス」でなく、それより先につくられた「身代金」に対して書いていたはずである。(このことについては近々、「身代金」のレビューを書く予定)
「アザーズ」を絶賛しないと言ったのは、この映画には「幽霊オチ」だけで「叙述トリック」が無いからだ。それどころか、「幽霊には生きた人間は見えない」という法則をつくり、生者と死者の共演を避けた。幽霊と生きた人間の「会話」はもちろん、「本来なら、彼らは映っていないんだよ〜。」という味わいなど、微塵も無い。
ちなみに、僕は子供の頃、幽霊とか超能力を本気で信じていて、今でも(信じてはいないが)その手の番組を観ているくらいだが、「幽霊には生きた人間は見えない」なんて法則を聞いたのは初めてだ。オリジナリティがあっていい?いやいや、観客を騙すなら、もっとフェアにやってほしい。そんな誰も知らないような法則を持ち出さないでくれ。トリックを見抜く伏線が全て提示されているからこそ、種明かしを楽しめるのである。「シックス・センス」も、ドアが開かなかった真相を、僕は「アンフェアだ。」と評した。「ドアの前に棚が置かれている」のに、「何も置かれていない」という”嘘の映像”を使ったからだ。嘘をつかずに観客を騙す、という巧妙な手口が「シックス・センス」の面白さだと思っていたのに……。こんな嘘を使うなら話は簡単だ。そして、全篇この反則でやりとおしたのが、「アザーズ」だ。「誰の姿も見えないのに、足音が聞こえる。物が動く。」一家を襲う怪奇現象。その真相はというと、「いるはずの人間を映さない」というもの。嘘の映像だらけだ。(ニコール・キッドマンの前に老婆が現われ、観客は幽霊だ!と驚く。しかし幽霊はキッドマンのほうだった、というのが唯一か)
最後に。監督は、この映画の脚本は「シックス・センス」より先にできていたと言っているが、そんな言葉を聞いても、僕の感想は変わらない。「シックス・センス」が公開された時点で諦めるべきだった。推理小説家が、他の作家に先を越されて小説のアイディアを捨てたというのは、よくある話である。
******** 最後と言っておきながら、これまた長〜い補足を ******
このレビューを更新したのは、一通のメールを頂いたからである。メールの内容は、登場人物が幽霊だったというオチはホラー映画の古典的パターンで、「シックス・センス」のオリジナルではないこと、そしてあのラストが過去の作品へのオマージュであることはシャマランも認めているということだった。
そのため、次の三点に注意してレビューを書き直すことを約束した。(メールをくださった方に感謝します)
1.「パクリ」という言葉は不適切なのでやめる。 2.「幽霊オチ」を初めて使ったのが「シックス・センス」であるかのような表現を無くす。 3.「シックス・センス」のページとのリンクを強調する。
ただ、反論もいくつかさせていただいた。その大部分はここまでのレビューで書いてしまった(今回更新した時に書き足した)ので繰り返し説明はしないが、もう少し補足したい。
確かに、過去のホラー作品に疎かったのは、僕の無知だ。(「シックス・センス」のコメントに、「よくあるオチなので予想できた。」というものがあったので、前例があることは想像できたし、僕自身ギャグ漫画でなら「幽霊オチ」は見たことがあるのだが。)しかしながら、「シックス・センス」への感想も、「アザーズ」への感想も変わってはいない。
こういうたとえはどうだろう。推理小説では、探偵が実は犯人だった、というオチは古典的パターンである。今ではもはや「おまけ」にしか使われず、このトリック一本で小説を書く作家はいない。だが、この「探偵=犯人」のトリックを、新しい切り口から使った小説ができたら、その小説は賞賛されるはずである。「何を今さらこんな使い古されたオチを。」とけなされはしない。むしろ「「探偵=犯人」のトリック、ここに極まる!」と大絶賛されるかもしれない。そしてその直後に平凡な「探偵=犯人」の小説が発表されたら……それこそ「何を今さら。」とけなされるはずである。
ましてその凡作に「衝撃のどんでん返し!」といった類のコピーがつけられていたら、期待した読者はどう思うだろうか。推理小説に全く無知な読者が、後から「”探偵=犯人”は古典的なトリックであり、あの傑作のオリジナルではないんですよ。」と教えられても、感想は変わらないはずだ。
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