[コメント] 私は貝になりたい(1959/日)
特別な人間の話ではない。私達の父や祖父もこうなる可能性があったのだ。フランキー堺のあの声を運の悪かった「同僚」「同期」の声として聞いた世代は恐怖に慄きながら聞いたはずだ。
新潟の俘虜収容所では、日本人看守兵が米兵に食事として「ゴボウ」を出した。食料事情は悪化し、食べられればそれで良いとされていた時期である。 戦後、その看守兵は俘虜虐待の罪でB・C級戦犯として告発された。
日本は戦争に負けたのである。
同時期、硫黄島で沖縄で勇敢に戦った米兵たちは故郷に復員をし始める。特に勇敢な英雄的行為をした者たちの胸には勲章が輝き、一部の心無い者は手に血まみれの「日の丸の寄せ書き」や「日本兵の遺品」を持ち帰った。
フランキー堺扮する日本兵と同じ境遇・同じような命令を受けた者たちが祝福の嵐の中で歓喜する。
そして現在、もしもあなたの彼女や娘が、駐留する米軍兵士に乱暴されたとしても我々にはどうする事も出来ない。
日本は戦争に負けたのである。
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