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[コメント] ロード・トゥ・パーディション(2002/米)

家族を待つ心境のそれぞれ
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ジュニア(タイラー・ホークリン)にとってつらいのは、親が殺し屋だったということよりも、そんな親(=サリヴァン)を待たなければならなかったことだろう。

 ルーニー邸前の薄暗い車中、およびシカゴの雑然とした待合所の2ヵ所で、ジュニアがサリヴァン(トム・ハンクス)を待つシーンは、ロケーションを窮屈な空間と、ごみごみした、だだっ広い空間に置くことで、どちらも息が詰まるような状況を捉えており、ジュニアの不安感をうまく表現していたと思う。

 さて、人(特に家族)を待つということについて、不安を感じた記憶は誰しも一度はあるだろう。しかし、待つ対象がサリヴァンの場合は話が違う。サリヴァンが戻ってくることは相手の死を意味し、戻らないことはサリヴァンの死を意味するのだから。サリヴァンだけでなく、ジュニアもまた、ただ一人で恐怖と不安と闘わなければならなかったのだ。

 ジュニアには悪の道を進ませたくなかったはずのサリヴァンが、後に運転手として銀行強盗に参加させるのは、そんなジュニアの気持ちを推し量った結果だろう。この頃のジュニアの表情からは、別々でなく、2人で共にリスクを背負い、苦労し、生きていると言う実感を見て取ることが出来た。

 サリヴァンのラストの台詞は、(これからというときに、)自らの死で息子を解放させる結果に終わった(サリヴァンをもう待つ必要が無くなった)ことに対する、父親としての無念さ・不甲斐なさからきた台詞だろう。

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 一方、サリヴァン一家と対照的なのは、ルーニー一家。

 ジョン(ポール・ニューマン)は最期の台詞にもあるように、息子のコナーか、サリヴァンのいずれかに殺される運命を悟っていたようである。完全に保護されたコナーを殺すには、唯一の後ろ盾であるジョンを殺す必要があり、この可能性を持つのは復讐を誓ったサリヴァンか、狂気に暴走したコナーのいずれかしかありえないからだ。

 誰にやられるにしても、自分の死がコナーの死をも意味することを百も承知のジョンは、そんな息子が哀れに思えたのだろう。彼は息子の幾多の不祥事に罰を与えないだけでなく、自分の死のことなど忘れ、息子に親殺しという不名誉な死を与えたくない気持ちすらあったと思われる。そんな気持ちがラストの台詞「お前でよかった」になったのだろう。

 ジョン・ルーニーの死(=息子orサリヴァン)を待つ心境もまた考えるにつらい。

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<<メモとして>>

話がそれるが、本作はトム・ハンクス主演の他作を彷彿とさせるシーンが随所に見られた。

(以下、トム・ハンクス主演の名作のちょっとしたネタばれがあるのでご注意を)

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冒頭でトム・ハンクスがポール・ニューマンと一緒にピアノを弾くのは手と足の違いはあるものの『ビッグ』のワンシーンとそっくりだし、ラストで無精ひげのトムが海岸を歩くのはそのまんま『キャスト・アウェイ』。更に、ラストでピストルを撃った後に息子に謝るシーンは台詞を「Earn it. Earn this.」に変えれば、『プライベート・ライアン』のあのシーンとそっくりだった。

以上は偶然かもしれないが、トム・ハンクスがアカデミー主演男優賞にノミネートされ受賞できなかった作品という共通点がある。深い意味は無いのでしょうが、縁起がいいのか?悪いのか? なかなか面白い。

あと更に言うと、随所で人と事件の出迎えを受けるサリヴァンに『フォレスト・ガンプ』の「Life is like a box of chocorate.」を思い起こす。これはアカデミー賞受賞なので、ちょっと無理やりだけど、縁起がいいとしときましょう。

(評価:★4)

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