[コメント] フリーダ(2002/米=カナダ)
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体の痛み、心の苦しみを生きる糧とし、絵を描くフリーダ。彼女の心情は、ディエゴ(夫)とトロツキーの台詞により、ご親切にも説明されたが、肝心のサルマ・ハエックの演技からは、その心情がもう一つ伝わってこなかった。また、絵にサルマ・ハエックのフリーダを重ねる技法に旨さは感じるものの、それは技法どまりで、2人のフリーダは一対になってなかったように思えた。結局、サルマ・ハエックのフリーダは、絵画と周りの人物で成り立っているようで、実際演出もそうだったし、彼女の「気」の入れ方、抜き方に最後まで馴染めなかった。ちょっと厳しい言い方だけど、仏作って魂入れず、といったところ。
個人的に強く印象に残ったのは、トロツキーの描写。本作でトロツキーはスターリンのことを「官僚」と言い放ったが、これはスターリンの政策のほとんどが自分が著作で提唱していたもので、スターリンはそれを官僚的に実現しているに過ぎない、という自負を表現しているのだろう。
本作を観るまで、(私個人の先入観ではありますが、)私のトロツキー像は謙虚な紳士だった。他の誰か(例えばディエゴ)が言うならともかく、トロツキー自らがスターリンをそのように批判する人物とは思えなかった。彼の報われない人生が、私にそう思わしていたのでしょうが、ジェフリー・ラッシュ演じるトロツキーは、私のトロツキー像を一変させるとともに、納得させもした。
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そう、私は前々からトロツキーという人物が気になっていた。そして、亡命先のメキシコシティで不倫の仲となったフリーダという画家にも関心があった。
トロツキーとフリーダの深い仲。
フリーダはどんな人物だ? 何故、誠実なトロツキーがフリーダに惹かれたのか?
これが私の本作への関心事だった。フリーダにもう一つ満足できなかったことは先に述べたとおりだが、トロツキーとの描写にはことさら満足できなかった。
妹と寝たディエゴへのあてつけ? ディエゴはそのように反応したし、フリーダもそれに反論しなかった。流石にこのように割り切るのは短絡的だと思うが、この中途半端な描写にはなはだ不満が残った。結局、2人の接点はテオティワカンの遺跡のやりとりが全てとなってしまっていた。
フリーダとトロツキー、そしてディエゴも含めて彼らは、共産党のコムレード(同志)である。これは思想的な師弟、兄弟であることを意味している。思想に命を懸ける彼らにとって、同志は実の兄弟以上のつながりといってもいいと思う。2人の間には、決してディエゴとフリーダの妹の情事と並べるべきではない、何かがあったはずだ。
思想に命を懸けるトロツキーと、苦痛と共生するフリーダ。本作がトロツキーに重点を置いていないのはわかるが、この部分をもっと丁寧に描いてもらわないとどうにも納得できない。
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