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[コメント] ラスト サムライ(2003/米=ニュージーランド=日)

コモエスタニッポン、コモエスタサムライ。エッセンスの抽出というより、遠い場所からの憧憬。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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物語ろうとするものの本質にせまっていれば、史実に忠実でなくとも、事実と異なっていても別段問題ないでしょう。この制作者たちは、何を語ろうとしてサムライやブシドウをとりあげたのだろう? 

一番ストレートに感じたのは「己の信念に生きる」ってことが、国境や人種を越えて分かり合えた、っていうところだった。だから「別にこの話、武士道でなくってもいいよな」と思いながら見てた。ネィティブアメリカンやマイノリティに置き換わってもいける話だと思う。そこを語ろうとするのにサムライだったのはなぜだろう? それは「己の信念に生きる(あるいは信念のために死ぬ)」というような生き様が、武士道のエッセンスを抽出した結果として見出された普遍的な価値観だった、っていうのではなく、いろいろな情報がわかってしまっているネィティブやマイノリティなどの自国ネタよりも、サムライのほうがよくわからない部分が多いから理想やロマンを託し易かったから採用しました、という感じだ。自分の身の回りや、自分たちの過去にそういう生き方があったかどうかは危うくても、昔のニッポンくらい遠く離れたところになら「そういう立派な生き方ってあったかもなあ・・・」と思いやすいのだろう。

そういう理想的な価値観を現代人に投げかけることがテーマなら、大事なのは、彼らラストサムライたちが、命をかけてなぜそのように生きたのか、その理念を観客にわかるように作品の中で説明することだと思う。理念を知ることで、それは現代の自分たちのことと関連して考えることができるからだ。それは史実に反してたって、物語の筋が通ればいいのである。ところが本作は、逆にその部分だけを史実(らしきもの)でお茶を濁そうとするのである。そこだけ旧武士階級と新政府とか、時代の背景らしきものをちらつかせ「察して欲しい」に、結果としてなっちゃってるように思うのだ。「天皇に生き様を見てもらおう」って、最後の突撃をする場面なんか私はどう解釈していいのかわからなかった。

そうなるとそういうテーマはあとづけで、やっぱりチャンバラをやりたかったという本質に行き着くのではないかなあ。渡辺謙も真田さんも、トムもみんな、あの玉砕シーンって心底楽しそうに演じているように見える。「信念を貫いて死ぬ」っていう芝居って、エモーションとかパッションとか最大限に放出して、やっぱり燃えるんだと思います。

「チャンバラは見るものやるのも楽しい」それだけはこの映画の中でまごうかたなき真実だった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)りかちゅ[*] ミルテ けにろん[*]

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